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写真はイメージです。
アステールは業界でも一、二を争う大手の芸能事務所。
さすが、自社ビルの社屋も豪勢な構えだった。
「ミサちゃん、こっち、こっち」
気のいい木村の後について、美和はエレベーターに乗り込んだ。
「一番上の階に社長室があるんだ。社長、お待ちかねだよ」
そんなうまい話があるのだろうか。
詐欺や嘘ではないのだろうが、さっき会ったばかりのスカウトの言うことを鵜呑みにしていいものか。
美和はまだ半信半疑だった。
「社長!!お連れしましたよー!!」
木村はノックはしたものの、遠慮もせずにアステールの社長室のドアを開けた。
「お、木村、早かったな」
「社長、さっき話した山崎ミサちゃんですよ。ミサちゃん、ささ、座って座って」
美和は座る前にアステールの社長に挨拶した。
「山崎ミサです…あのう、初めまして」
「こちらこそ、はじめまして。僕がアステールの宮本です。そう固くならずに。よろしくね」
アステールの社長は噂通りだった。
創業者の父親を早くに亡くし、30代の若さで会社を継いだイケメン社長。
実際に目の前にしてみると、物腰が柔らかく紳士的な雰囲気の人物だった。
「社長、さっきも言った通り、すごい美人でしょう」
「そうだなあ。同じようなタイプがかぶらないというか、完璧な容姿じゃないか」
宮本社長は美和を見るなり絶賛してくれた。
唯一無二の美貌で同じようなタイプが見当たらない。
アステールの創業者を父に持つ宮本は、美人なだけの女性なら見飽きるほど見ているのだろうが、その宮本が絶賛するということはやはり新しくなった自分は相当な美人に見えているのだ。
美和はそう確信した。
自信を持ってもいいのではないか。
「ところで、どうしてジャージなのかな?」
美和が宮本の様子を窺っていると、そう尋ねられた。
「そんなに綺麗なのに、ジャージで出かけたりするのかな?馬鹿にしてるんじゃないよ。すごく不思議な雰囲気があるからさ」
「え、え、と。今日は寝坊しちゃって」
寝坊したのは本当のことだが、そこから先、目覚めたら以前の自分とは似ても似つかない美女になっていた、そんな話は信じてもらえないだろう。
美和は途中で言葉を濁した。
「ははは、そっか。それも可愛いね」
どうやら宮本は自分のことを好意的に捉えてくれているらしい。
芸能事務所には少し恐いイメージを持っていた美和だったが、少しずつ緊張は解れていった。
「社長、どうですか?今すぐにでも通用するくらいのレベルの美人でしょう」
「そうだな。ミサちゃん、来週、雑誌の取材でも受けないか?」
「ええ?!」
なんと、さっき木村に会ったばかりなのに雑誌に出てみないかとは。
「それに、どうかな。コマーシャルにも出てみないか?」
コマーシャルというのは夏の化粧品の新しいキャンペーンの仕事だった。
「え!私が麗粧堂のコマーシャルに?」
「うん。うちの高山香菜で話は進んでたんだけど。香菜はいろいろ問題があってね」
「ミサちゃん、さっきも言ったけど高山香菜は性格最悪だからさ。スポンサーにも嫌がる会社があるんだ」
横で話を聞いていた木村もコマーシャル出演を勧めてくれた。
「よし、決まりだな。契約に必要な書類、急がなくてもいいから用意してくれよな。それから給料、ギャラを振り込む口座は…細かいことは木村に聞いてくれ」
美和はポカンとしてしまった。
こんなにトントン拍子に進むものなのだろうか。
以前の醜くて冴えない自分とは180°正反対ではないか。
しかし、美しい姿に変わってしまっただけで、こんなにうまく話が進むものだろうか。
一体、自分に何が起こったのだろう。
目が覚めて美女になっていたのは何故なのだろう。
夢ではないだろうか。
美和は自分の頬をつねってみたいような気がしていた。
アステールを出た美和は、木村が家まで送ると言ってくれたが、契約に必要な書類を取ろうと区役所の前で車を降ろしてもらった。
「358番のお客さまー」
区役所の窓口で身分証明を取ろうとした美和は、思い切って山崎ミサで書類が出るか試してみた。
申請書に今の住所を書き、名前の欄には山崎ミサとしてみた。
「お待たせしました。358番のお客さまですね。こちらが住民IDになります」
「はい…」
美和は恐る恐る発行された書類を確認した。
やはり思った通りだった。
住所と生年月日は美和のものだったが、名前は死んだ母親の名前、山崎ミサで発行された。
なんということか。
姿が別人、絶世の美女になっただけではなく、公的な証明書に新しく生まれ変わった自分が登録されている。
自分は笹本美和ではなく、山崎ミサなのだ。
これはどういうことなのだろう。
何故こういうことになったのだろう。
ミステリーかSF小説の中のような出来事が自分の身に起こっている。
しかし、全て自分に都合が良い方向に向かっている。
美和は山崎ミサとして生きることにした。
「え、芸名ですか?」
その次の日、契約に必要な書類を持ち、正式な契約を取り交わすためにアステールを訪れた美和は宮本社長から芸能活動をするうえでの芸名を与えられた。
「そう。山崎さんでもいいんだけど、そんなに綺麗なんだからそれらしい芸名をつけてあげようと思ってね」
「それで、宝生美沙の名前を頂けるんですか?」
「そうだね。不満かな?」
「いえ、とんでもないです!素敵な名前だと思います」
「気に入ってくれたら嬉しいよ。改めてよろしくね、美沙ちゃん」
「はい!こちらこそ、よろしくお願いします!」
美沙は深々と頭を下げた。
「まあまあ、そんなに固くならずに。でも、美沙ちゃんのそういうところが、またいいんだけどね」
それからというもの、美沙にはどんどん仕事が入ってきた。
宮本社長と初対面の時に聞かされた化粧品のキャンペーンモデルの仕事を皮切りに、雑誌の取材やテレビドラマなど、単なるモデルの仕事だけではなく女優としても美沙は歩き始めた。
「わああ、宝生美沙よ!」
「きれいねえ、見惚れちゃう」
世間の反応を見るために、眼鏡とマスクで顔を隠した美沙は書店の女性誌コーナーで読者の様子を窺った。
女性誌を手に取った若い女性たちは挙って美沙の美貌を絶賛し、ため息をつくように掲載されている写真に見入っていた。
「こんな顔になりたいなあ」
「そうよねえ。すっごくきれい」
読者の評判は上々。
こうして書店にこっそり行く以外にも、美沙はネットでの自分の評判もチェックしていた。
「宝生美沙、美しすぎ!!」
「僕らの女神さま!!」
「彗星のように現れたよねー」
ネット上の巨大掲示板にも美沙に関するスレッドがいくつも立っていたが、どのスレッドも美沙の美貌を讃え、その活動を後押ししようという応援団的なやり取りが繰り広げられていた。
美しく生まれ変わった自分は世間の注目を集め、モデルとして女優として八面六臂の大活躍。
幼い頃に夢見た、お姫様のような生活が現実になった。
美沙は毎日毎日、天にも昇るような気持ちだった。
「美沙ちゃん、お疲れー」
美沙のマネージャーには木村が就いていた。
初めて会った時は軽薄な感じを受けていたが、共に仕事をするようになって美沙はわかってきた。
木村は頼りになる男。
「木村さんもお疲れさまです」
「いいのいいの。俺はこの仕事が好きだからさ」
「木村さん、最初はチャラいと思っててごめんなさい」
美沙は神妙な表情を見せながら木村を労った。
「いや、俺、チャラいよー」
「もー、またまたー。そんなこと言っちゃって。前はまゆちゃんのマネージャーさんだったって言ってたじゃないですか。みんな言ってますよ。佐伯まゆを育てたのは木村さんだって」
「そうかなあ?俺はただのお調子者だよ」
「いや、絶対に違うと思う」
「美沙ちゃんには敵わないなー」
「木村さん、これからもよろしくお願いします」
自分はまだまだこれから。
美沙は揺るぎない自信に満ち溢れていた。