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写真はイメージです。
プリヤでスペシャルブレンドコーヒーを飲み、帰宅した美和は風呂に入りその日も早く休んだが、次の日、目を覚ますと出勤時間を過ぎていた。
「あ!いっけない!!遅刻じゃない!!」
飛び起きた美和は慌てて洗面台の前まで急いだ。
「あれ?」
鏡を覗き込んだ美和は目を疑った。
鏡に映っているのは見たこともない美女だった。
「え??え、え、え、え??」
驚いた美和は頬に触れてみた。
すると、鏡の中の美女も頬を触っていた。
髪に触れてみると、やはり鏡の中の美女は髪を触っていた。
しかも、髪は長く伸びていた。
ショートカットにしていた美和だったが、胸の辺りまでのロングヘアになっていて、自分で触ってみた同じところを鏡の中の美女も触っていた。
鏡の中にいるのは自分なのか?
しかし、自分がこんな美女なはずがない。
美和はじっと手のひらを見てみた。
「うそ…うそでしょ…」
白魚のような細くて長い指。
太り気味で指は短く、色黒の自分の手ではないと思ったが、右手で左手を触ってみると確かに感覚が伝わってきた。
なんということか。
寝ている間に全くの別人になってしまった。
そうとしか考えられなかった。
これでは仕事に行けない。
それに、仕事場には何と連絡すればいいのか。
そんなことを考えながら美和は声を出してみた。
「あー、ああー、あー」
なんと声までもが別人になっていた。
元の声は低くてボソボソとした印象だったが、声まで愛嬌のある艶っぽい声に変わっていた。
これでは仕事場に電話して連絡もできない。
美和は部屋に戻って姿見を見てみた。
やはり今ままでの自分ではなかった。
鏡に映ったのはすらりとしていて八頭身の完璧なスタイルの美女だった。
太っていて背が低く、そのことで仕事場ではモデルたちにバカにされていた自分ではなかった。
いったい何が起こったのか?
鏡に映る美女は自分なのだ。
これでは仕事にも行けないが、周りの人間はこの自分を見てどんな反応をするだろう。
鏡に映るのだから透明人間や吸血鬼ではないはず。
美和は気が動転して考えがまとまらなかったが、突飛なことを思いついた。
美和は思い切って外に出てみることにした。
新しくなった体は背も高くなりその体に合うサイズの服がなかったが、部屋着にしているジャージなら着られるのではないか。
そう思ってジャージを着てみると、なんとか着られた。
スニーカーも少しきついようだったが、かかとを踏んで履き、美和は外に出てみた。
スタイリスト見習いとして、美和はファッションの最先端の町のすぐ近くに住んでいた。
寝坊して既に昼近かったが、道行く誰もが美和とすれ違うと振り返り、二度見する者も少なくなかった。
ショーウィンドウに映る新しい自分。
美和は高級ブティックの前で立ち止まり、じっと新しい姿を見た。
「ちょっとちょっと、そこの彼女!!」
ブティックのショーウィンドウに映る姿を見ていると、誰かが話しかけてきた。
「彼女、もう事務所とか入ってるの?」
「え?あたしですか?」
美和は周りをきょろきょろ見ながら答えた。
「そそそそ。彼女、きれいだねえ。見惚れちゃうよ。どっかの事務所にもう入ってんの?」
「いえ、あたしは、そんな…」
「まあ、いっか。ちょっと、そこのファミレスで話そうよ」
スカウトなのか。
軽薄な感じがしたが、嫌なら断ればいい。
美和はそう考えてスカウトらしき男について行った。
「僕はこういう者だけど」
声をかけてきいた男はテーブルの上に名刺を出して見せた。
「プロダクション、アステール。ええ!あの大手事務所ですか?!」
「そそそそ。僕ね、アステールのスカウトなんだ。木村ってんだ。よろしくね」
アステールは美和をいじめている香菜も所属する芸能事務所。
きれいどころのモデルや女優、歌手の他、イケメン俳優やミュージシャンなど一流芸能人が多く所属する大手のプロダクションだった。
「彼女、きれいだね。名前教えてよ」
「え、と」
今朝、目が覚めたら別人になっていた。
こんなことは誰も信じてくれないだろう。
何と名乗ろうか。
「え、と。ミサです」
「へえ、ミサちゃんか。名字は?」
「あの…山崎です」
美和の姓は笹本だったが、咄嗟に口から出たのは母方の実家の姓だった。
ミサというのも死んだ母親の名前。
外見が全くの別人になってしまった美和は口から出まかせのように、全く違う名前を名乗ってしまった。
「ミサちゃんかあ。すごくきれいだね。ホントにどこの事務所にも入ってないの?」
「ええ、はい」
「へえ。それはいいなあ。ねねね、芸能の仕事に興味あるかな?」
「ええ、はい」
確かにスタイリストの夢を追う美和は華やかな世界に興味があった。
幼い頃は女優になるのが夢だった。
しかし成長するにつれ、自分の容姿がどんなものか、わかってくるようになるとその夢は空気が抜けた風船のように萎んでいった。
自分は太った醜女。
一生かかってもスポットライトの当たる場所に出られるはずがない。
それでも芸能の世界に関わりたい美和は、スタイリストを目指すようになっていた。
「へえ、今ね、うちの事務所で来年公開の映画の主役をやれる女優を探してるんだ」
アステールでは新人女優を探していた。
世界的にも有名な巨匠を監督に迎えた大作映画の企画を練っていて、事務所の総力をあげて制作の計画が進んでいた。
「ミサちゃんなら文句なく監督も納得してくれると思うね」
「でも、杉山監督の作品に出して頂けるなんて。あたしのような者を使ってもらえるんでしょうか」
「まずは、監督に会ってみたらどうかな。あ、もちろん、うちの社長にも会ってよ」
「ええ…でも…」
「ちょっと社長に電話してみよう」
木村はポケットからスマホを出し、どこかに電話し始めた。
「社長、いい娘、見つけましたよ。すっごい綺麗ですよ。これから事務所に連れて行っていいですか?…え、あ、はい。それはもちろんですよ…」
木村はほぼ一方的に話を進めた。
美和はぼんやり聞いているだけで、話の内容はほとんど頭に入ってこなかった。
「…という訳なんだ。時間あるかな?」
「え?え、ええ。はい」
「なら、今日は社長が会社にいるから、事務所に行って話そうよ。あっちの駐車場に車を停めてあるからさ。行こう行こう!」
木村はさっと立ち上がってスタスタとファミレスのレジに会計を済ませに行った。
朝、寝坊したら人生が変わっていた。
そうとしか考えられない。
美和も急いで立ち上がって木村の後について行った。
「ミサちゃん、俺さ、前は佐伯まゆちゃんのマネージャーやってたんだ」
木村は駐車場を出ると聞きもしないのに一人でぺらぺら喋り始めた。
「まゆちゃんはいい娘なんだよなあ。顔が可愛いのはもちろんだけど、気遣いもできる娘なんだ。頭もいいし、社長の一番のお気に入りってのも頷けるね」
「佐伯まゆ、フィロス電機のコマーシャルでも見かけるようになりましたよね」
「そそそそ。海子っていうアンドロイドのイメージキャラクターに起用されてさ。いよいよアンドロイドも人間並みの見た目や、電子頭脳を内蔵した段階まで進化してきたんだなあ」
木村の第一印象は軽薄な感じだったが、話をよく聞いてみると仕事熱心で気のいい男という雰囲気が伝わってきて、美和は少し安心した。
スカウトを名乗った悪徳業者もいることは美和もよく知っていたが、名刺も本物で話の内容も信用できるようなものだった。
「そうだ、まゆちゃんといえばさ。三澤俊介との噂、あれね、ホントなんだよ」
「へえ、そうなんですか」
木村はまた聞かれもしないのに、トップアイドルの佐伯まゆの噂をぺらぺら喋り出した。
まゆはずっと年上のミュージシャンと交際しているという噂だった。
「三澤俊介とまゆちゃんが付き合ってるって噂、あれ、ホントのことなんだよなあ」
「へええ、でも、すごく年が離れてないですか?」
「そそそそ。三澤さんが32、まゆちゃんが14歳。うひゃあ、淫行じゃん。でもさ、三澤俊介なら許されちゃうんだよなあ。まゆちゃんも内面は大人だし。いいんじゃないの、うちの社長も公認だし。二人とも仕事はきっちりしてるしね」
木村はお喋りな男で、その他にも業界内部の話を続けた。
「でもさあ、高山香菜は勘弁してほしいよなあ」
木村の口から美和をいじめていた香菜の名前が出ると、美和は木村が何を言い出すのか話に集中した。
「高山香菜、マジで性格悪すぎ。あいつのせいで辞めた娘、もう両手でも足りないくらいだよ」
木村は赤信号で車が停まると、美和の方を向いて両手の十本の指を広げてみせた。
「香菜さあ、今度、女優にも挑戦って騒がれてるけど、あんな奴と仕事させられるなんて気の毒を絵に描いたようなものだよな」
「そんなに酷いんですか?」
美和はわざとに尋ねてみた。
自分以外にも誰が香菜に苦しめられているのか、ぜひとも聞いておきたかった。
「酷いなんてもんじゃないよ。香菜についたマネージャー、一番短い時で三日で辞めた奴がいるんだ。それ以外にもマネージャーがよく変わることでは有名だね」
「そうだったんですか」
「ミサちゃんも、香菜には気をつけた方がいいよ。反社とも付き合いがあるみたいだから、強く言える人間がいないんだ。あーあ、社長はなんであんな奴を会社に置いておくんだろうな。香菜の親父さんがいくら大御所だからってさ…あ、着いたよ」
木村に言われて車の窓の外を見上げると、アステールの自社ビルがそびえ立っていた。
なぜかはわからないうちに、美しい別の自分になってしまった。
とはいえ、そんなに簡単に大手の有名プロダクションで仕事ができるものなのだろうか。
美和は言われるままに木村の後について行った。