喫茶プリヤ 第三章 三話~ミュージシャンへの道

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ここから本編です。

写真はイメージです。

 

空子に勧められたプリヤスペシャブレンドコーヒーを飲み、和也はアパートに帰ってきた。

洗面所で鏡を覗き込むと目の周りには紫色の痣ができ、唇は腫れ、頬にも何ヵ所も痣があった。

ひどい殴られ方をしたものだ。

路上ライブをしていて野次を飛ばされたことはあったが、こんなひどい暴力を振るわれたことはなかった。

和也は背中から下ろしたギターケースを開けて中を確かめるように見てみた。

チンピラにギターの弦を切られ、本体も凸凹になるほど壊され和也はショックを受けていた。

今の仕事の給料では何ヶ月ぶんかを貯めなければ新しいギターは買えないというのに。

 

「あれ?」

 

ギターケースを開け、中を見た和也は目を疑った。

なんと、ギターは無傷でケースに収まっているではないか。

しかし、チンピラに絡まれた時、ギターを取り上げられ壊されていたのではなかったか。

いつの間に直ったのだろう。

ギターが自然に直るなどあり得ない。

なぜ、壊されたはずのギターが元通りになっているのか。

和也は不思議な気持ちでいっぱいだったが、ギターを軽く弾いてみた。

いつもの音色は何も変わっていなかった。

一体全体、どういうことか。

その時、ポケットに入っていたスマートホンが鳴った。

こんな時間に誰か。

表示された電話番号には覚えがなかった。

 

「はい、もしもし」

「あ、夜分遅くに大変失礼します」

 

電話の向こうの声は落ち着いた感じの男の声だった。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。ずっと電波の届かないところにあるみたいでしたから」

「どなたですか?」

「失礼しました。私、アステールの木村と申します」

「アステール?あの、プロダクションのアステールですか?」

 

アステールといえば名うての大手芸能事務所ではないか。

そんな大手事務所が自分に何の用か。

和也は電話の向こうの男が話すのにじっと耳を傾けた。

 

「加原和也さんですよね。ぜひお話を伺いたいと思いまして。うちの社長の山木があなたの噂を聞きましてね、ぜひ一緒に仕事をしたいということで…」

「え、何ですって?」

 

木村と名乗る男の話はこういうことだった。

アステールの山木社長は和也がレコード会社に持ち込んだデモテープを聞いて、今すぐにでもプロとして通用する才能を感じた。

ちょうどアステールでも実力のある本格派の男性シンガーを探していて、和也の楽曲に関心を寄せている。

是非とも一度会って詳しい話を進めたい。

木村と名乗る男は声の感じだけなら、誠実そうでおかしな雰囲気は感じられなかった。

 

「あ、でも、夜遅くにいきなり電話で話すだけなんて、信用されませんよね。明日はご都合は如何ですか?こちらから迎えに行きますよ」

「ええ、と。明日は仕事なんですけど」

「そうですか。でも、そこを何とかして頂けませんか?うちとしては、すぐにでも契約して頂きたいんです」

「でも、そう言われても…」

「加原さん、あなたの才能は一日でも早く世に知らしめるべきなんです。山木もそう言っておりまして」

 

大手の芸能事務所からの突然の電話。

信じられないような破格の条件を提示された和也は話に乗ってもいいものか、言葉が見つからなかった。

そういえば、壊されたはずのギターが何故か直っていた。

それに気づいて不思議な気持ちになっているところへ、大手芸能事務所からのアプローチ。

理屈ではない、何かの見えざる力が働いているのか。

話を聞くだけならそれでもいい。

和也は木村の勧めに乗ってみることにした。

 

「わかりました。では、お話だけでも伺います」

「そうですか!ありがとうございます、怪しい者ではございません。では、明日の朝、お迎えに上がります」

 

和也は住んでいるアパートの特徴や場所、車で来るならどの道を通ればよいかを伝えたが、木村の反応はやはり意外なものだった。

 

「蓬莱荘ですよね、岩川町の」

「え、ご存知なんですか?」

「加原さんの評判は業界でも有名ですよ。いい曲を作るってね」

 

和也の曲は既に業界内でも評判がいい。

直接、デモテープや楽譜を持ち込んだレコード会社が押さえている和也についての情報をアステールも把握していた。

和也はまだ会ったこともない木村という男と未来を左右する約束をした。

 

「おはようございます、加原さんですね?」

「え、あ、はい」

 

約束した時間にアパートを出ると、木村が車から降りて待っていて名刺を渡してくれた。

 

「木村です。昨日はありがとうございました…あれ?どうしたんですか、その顔?」

「いえ、何でもありません。アパートの階段で転びました」

「そうだったんですか。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。すみません」

「じゃあ、ご案内しますよ。乗って下さい」

「はい、失礼します」

 

和也が助手席に乗り込むと、木村は車を発進させた。

 

「いやあ、うちの事務所も最近いろいろありましたから。加原さんのような才能あふれる若い人に入ってもらうと助かりますよ」

 

実際に会ってみる木村は気のいい男という感じで、運転しながら盛んに話しかけてきた。

 

「ほら、うちにいた宝生美沙。結局、終身刑になったじゃないですか」

 

木村はアステールの元看板女優、宝生美沙の話を始めた。

美沙は女優として活躍した後、企業グループのぺリウシアの総帥の座にまで昇り詰めたが、業務提携していたフィロス電機との共同研究で不正を行い、欠陥品のアンドロイドに大量殺人をさせた罪で有罪判決を受け服役していた。

その他にもぺリウシアグループの金を横領して私腹を肥やし、業務提携しているフィロス電機の研究データを海外の企業に売っていたことも明らかになり、複数の罪で終身刑が言い渡されていた。

 

「宝生美沙ねえ、僕がマネージャーもしてたんですよ。最初に会った時は純粋で綺麗な女の子だったのに、どうしてあんなになっちゃったんでしょうねえ」

 

それが芸能界の闇なのか。

松野豊に盗作された和也は黙って木村の話を耳を聞いていた。

 

「でも、まあ、美沙が犯罪に走ったのは事務所を辞めてからですからね。うちは関係ないと言いたいところですが、中にはいろんなことを言う人もいましてね。加原さんみたいな新鮮な風を吹き込んでくれる人材を探してたんですよ。うちには三澤俊介もいますが、すっかり大御所ですからね。若くてフレッシュな才能を探してました」

 

アステールといえば三澤俊介。

和也の憧れのミュージシャンだった。

新曲を出せば必ずヒット、ライブは常に満員でチケットがなかなか取れない、トップアイドルの佐伯まゆとのコラボレーションも大成功を収めていた。

三澤俊介の半分でもいい。

和也も一人前のミュージシャンを目指していた。

 

「加原さん、期待してますよ。あ、そうだ、松野豊には気をつけて下さいよ」

「え、松野さんがどうかしましたか?」

 

松野豊といえば、和也がレコード会社に持ち込んだ曲を自分の曲として発表した、盗作を働いた男。

和也は許せない思いでいっぱいだった。

 

「松野豊はゴーストライターがいるって、専らの噂なんですよ」

「ええ?」

 

人気シンガーソングライターの松野豊が、自作の曲として発表しているものの大部分はゴーストライターが書いたもの。

それ以外にもライブでの演奏はエア・ギターで、舞台の裏に演奏者がいてその演奏者の音をスピーカーから流している。

女性関係も派手で事務所が不都合を揉み消している。

 

「その他にも胡散臭い話がいっぱいなんですよ」

 

宝生美沙の話といい、自分の曲を盗作して横取りした松野豊といい、和也はやはり芸能界の闇を感じた。

そんな世界で自分はやっていけるのだろうか。

昨日から何か不思議なことが自分に起こっている。

壊されたギターが直っていたり、大手の芸能事務所から急に声をかけてもらったり。

ここは勢いに乗って賭けに出るところだろうか。

和也がそんなことを考えていると、木村が運転する車はアステールの本社ビルの前に到着した。