喫茶プリヤ 第三章 四話~嘘じゃない

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ここから本編です。

イラストはイメージです。

 

「加原さん、こっちですよ」

 

大手芸能事務所のアステールの社屋に着くと、和也は木村の後について進んだ。

 

「お!まゆちゃん、今日も可愛いねえ」

 

ホールで待っているとエレベーターの扉が開き、木村は中に向かって声をかけた。

 

「そうだ、まゆちゃん、今度うちの事務所に入ることになった加原和也さんだ」

 

なんと、一階についたエレベーターからはトップアイドルの佐伯まゆが降りてきていた。

マネージャーらしき男の陰に隠れていたまゆは、木村に和也を紹介されると大きな瞳を輝かせて挨拶してくれた。

 

「こんにちは!はじめまして!」

「え、あ、はい。こ、こ、こんにちは」

 

和也はテレビではもう何度もまゆを見知っていたが、本物に会うのはもちろん初めてで気後れしてぼそぼそと返すことしかできなかった。

 

「まゆちゃん、これから収録かい?」

「はい!」

「加原さんとも、そのうち共演することがあるだろうから、よろしくな」

「はい、こちらこそよろしくお願いします!」

 

まゆはマネージャーに伴われて和也の脇を通り抜けて行ったが、和也の方を見て笑顔を向けてくれた。

本物はやはり違う。

まゆはトップアイドルらしい輝きに満ちていて、オーラを発していた。

 

「加原さん、ラッキーじゃないですか。まゆちゃんに会えるなんて。いい娘でしょう」

「ええ、そうですね。すごかったです、輝いてました」

「まゆちゃんは、うちの稼ぎ頭ですからねえ。前の宮本社長の件でアステールのイメージに傷がつきそうだった時も、まゆちゃんが頑張ってくれたからなんとか乗り切れたんですよ」

 

前社長の宮本氏の件。

和也もスポーツ紙や週刊誌で知ったが、SMプレイ中にホテルで変死。

社長自らが老舗の名門事務所の看板に泥を塗るような事件を起こし、アステールは傾いたかに見えたが、それぞれの所属タレントがきっちり仕事をしてなんとか巻き返していた。

中でも人気、実力とも申し分ない佐伯まゆが大きなライブを成功させたり、安定して曲をヒットさせたり、イメージアップに貢献していた。

 

「まあ、まゆちゃんのプロデュースは三澤さんがやってますからね。ご両人は公私ともに順調ってことですよ」

 

ご両人は公私ともに順調。

和也の憧れのミュージシャン、三澤俊介と佐伯まゆは特別な関係なのだろうか。

和也は憧れの三澤のこととあって、木村の言葉が少し引っ掛かった。

 

「お、つきましたよ。社長室、こっちですから」

 

エレベーターが一番上の階につくと、和也は木村の後についてエレベーターを降りた。

 

「社長ー!加原さん、お連れしましたよー」

「おお、はじめまして。社長の山木です」

 

変死した宮本社長に代わってトップに立った山木氏が待ちかねたように声をかけてくれた。

山木は元は副社長だったが、前社長の宮本の変死を受けて社長の座に就いていた。

 

「加原和也さんですね。加原さんが作る曲はいいですねえ。レコード会社も絶賛ですよ。うちの事務所で一緒に仕事をしませんか」

 

既にレコード会社から和也の曲をCDとして発売したいという申し出がアステールに届いていた。

 

「加原さんの曲を一日でも早く世に出したいって、レコード会社はかなり前向きなんです。私も昔、世話になっていた会社なんですよ」

 

山木は自己紹介も兼ねて説明を始めた。

 

「加原さんはまだお若いですから知らないでしょうが、私は昔、デビューした経験があるんですよ。ファンクションっていうバンドで私はベースを担当していました。学生時代からの友人と結成したバンドで、デビューの話が来た時は嬉しかった。でも、やっぱりプロの世界は厳しくて、ファンクションは1年ほど活動して解散、メンバーも今は田舎に帰って地道な生活をしていますが、私だけがこの世界に残ったというわけで。ファンクションをやっていた時のご縁はまだ続いていましてね。パールヴァティ―レコードから加原さんにご指名があったんですよ。加原さんの曲の世界観、音楽性、全てが素晴らしい。ぜひ、プロとしていい曲を世の中のために出して欲しい。そういうことなんです」

 

何ということか。

何日か前までは建設現場で働き、路上ライブで歌っていた自分がレコード会社から指名されるとは。

昨日はヤクザ者に絡まれ、大切なギターを壊されて途方に暮れていた自分に、とんでもない幸運が舞い込んできた。

嘘なのか、詐欺なのか、俄かには信じられない和也は呆気に取られていた。

 

「でも、一つ聞いていいですか?」

「え、はい、何でしょう?」

「その顔、どうしたんですか?せっかくのイケメンが台無しじゃないですか」

 

山木社長は和也の顔の痣のことを尋ねてきた。

 

「あのう、路上ライブで歌っていたらヤクザに絡まれたんです」

「なんですって?」

「竜嶺会って言ってました」

「ええ!竜嶺会ですか。それは相手が悪かったですね」

「社長、ギターも壊されたんですってよ」

 

木村が付け加えて口を挟んだ。

 

「そうでしたか。ギターのことなら心配いらないですよ、これからは必要経費で落とせますから、好きなのを買うといいですよ」

 

和也は実は一つ不思議なことがあって、壊されたギターはなぜかひとりでに直っていたことを言いそびれてしまった。

 

「あのう、それは大変ありがたいんですが、僕は今は建設作業員の仕事をしているんです」

「あ、そうですよね。その仕事は辞められないんですか?」

「ええ、できないことはないと思いますが」

「もしかして、デビューしても売れなかったら。そう考えているんですか?」

「はい。僕のような者が厳しい音楽の世界でやっていけるか」

「でも、路上ライブをやっていたということは、プロを目指しているんでしょう?」

「はい、いつかはそうなれたらとは思っていました」

「うん。それはですね、今がその時なんですよ。今です、今しかありません」

 

一見、穏やかな紳士に見えた山木だったが意外と押しが強く、和也はすっかりその気にさせられそうだった。

 

「そうですねえ、加原さんの良さはライブでこそ伝わると思うんですよね。来月、三澤俊介のライブがあるんですが、そこに出てみませんか?」

「え?!僕が三澤さんのライブにですか?!」

「ええ。三澤はギタリストとしても評価されてるでしょう。来月のライブは他にも名立たるミュージシャンが集結して、まあ、何というか、ギター小僧大集合という感じのステージになる予定なんです」

 

そのライブはとっくにチケットは売り切れていた。

和也も行きたかったが仕事中にネット販売され、休憩時間には既に売り切れになっていた。

それに自分が参加できるなど、夢のまた夢、和也は自分の頬を抓りたいような、夢なら目が覚めないで欲しいような、ふわふわした気持ちで山木の話を聞いていた。

 

「よし!決まりですね。明日から、いや、今日からでもいいですよ。三澤のリハーサルに加原さんも参加しましょう」

「えええ!!明日ですか!!」

「はい。何か問題でもありますか?今日でもいいんですよ。三澤には私から話しておきましょう」

「あ、あのう、仕事は…」

「うーん、加原さんが自分で言いにくければ、私が先方と話しましょうか」

「ええー!」

 

ぜひお願いしますと言うのもおかしい、かと言って、やめてほしいと言うのもおかしい。

和也は何と返したらよいかわからなくなった。

 

「いいですね。じゃあ、アトモック建設には私から話をつけておきましょう」

「どうしてご存知なんですか?」

「ああ、レコード会社にデモテープを持ち込んだ時に、名前や住所、勤め先を登録してあったでしょう。そこで、加原さんの電話番号も控えましたから」

「そうなんですか…」

 

和也は山木に押し切られるように納得させられたが、騙されているであるとか、詐欺に引っ掛かっているというような感情は不思議と湧いてこなかった。

何かはわからないが、昨日と今日の間に大きな運命の分かれ道が開けていた。

そう考えるしかない。

なぜかはわからないが、自分にも運が向いてきたのだ。

今はその運を掴みに行く時。

和也は自身にそう言い聞かせた。