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こちらは私の拙い日記、私の本音です。
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写真はイメージです。
その日も美和は仕事場でこき使われていた。
撮影スタジオの入り口にジュースがこぼれていて、美和はそれを掃除しておくように言いつけられた。
スタイリストの見習いとはいえ、掃除婦代わりにこき使われるとは。
美和は納得できなかったが、弟子入りしている先輩スタイリストには逆らえない。
バケツに水を汲み、モップでジュースを拭き取ろうとしているところへ、昼食を終えた香菜が戻ってきた。
「あらあ、笹本さん。何やってんの?」
「ここにジュースがこぼれていたので掃除です」
「あ、そ」
香菜は鼻で笑いながらスタジオに入ろうとしたが、美和の脇に置いてあるバケツを蹴った。
「ああ!!」
何ということをするのか。
バケツにはモップを洗うために水がなみなみと入っていて、それが廊下一面に広がった。
「あらあん?バケツの水がこぼれたわねええ。ごめんなさいね、足がもつれちゃった」
香菜はにやりと笑った。
絶対にわざとに蹴ってバケツを倒したに違いなかった。
「香菜さん……」
そもそも廊下にジュースがこぼれていたのも、香菜のせいではないのか。
嫌がらせにも程がある。
美和は何かがぷつんと音をたてて切れそうだったが、スタイリストになる夢のためには嫌がらせごときで波風を立てる訳にはいかず耐えるしかなかった。
「何よう。なんか文句あんの?」
「いえ、別に」
「じゃあ、さっさと掃除しなさいよ。うふふ」
香菜は美和をバカにしたように笑い、すたすたとスタジオに入っていった。
バカにされ、嫌がらせをされても、美和は夢を叶えるために先輩スタイリストの言う通りに働き、意地悪な香菜にもペコペコしていた。
撮影が終わると香菜に私服を渡したり、撮影に使った衣装や小物を片付けたり。
美和はとにかく懸命に働いた。
「あら?ない!ないわ!」
私服に着替えた香菜が何かを探し始めた。
「ねえ、あたしの指輪知らない?」
どうやら、撮影中はずしていた香菜の指輪が見当たらないらしい。
皆でスタジオ中を探したが、どこにもなかった。
「困ったわ。彼にもらったものなのに」
美和ももちろん懸命に探した。
鞄の中で片付けた衣装や小物に紛れていないか、全て確認したが指輪は見つからなかった。
「ちょっとお、笹本さん。小物の中に紛れ込んでるんじゃないの?!」
「見つかりません」
「ちゃんと探したの?…あら、このポーチ、誰のかしら?」
香菜は撮影用の家具の上に置かれていたポーチに気付いた。
「あ、それ、私のです」
「へえ、そーなんだ。なんか、中がゴツゴツしてるけど」
「返してください」
「ちょっと、中見るわよ」
香菜は言いがかりをつけるつもりなのか、美和のポーチを開けて中を覗いた。
「あああ!!あったわ!!」
スタジオ内で皆が香菜の指輪を探し続ける中、香菜は大声をあげた。
なんと、美和のものだというポーチの中に香菜の指輪はあった。
「笹本さん、これ、あんたのだって言ったわね」
「そうです」
「へええ。どうして、あたしの指輪がこの中にあるの?」
「それは……」
美和はポーチがなくなっていることに気付いていた。
仕事中それを探す訳にもいかず、撮影が終わってから探そうと思っていた。
ポーチがなくなっている間に、指輪を入れられていたのではないか。
誰かがわざとにポーチを隠し、その中に香菜の指輪を入れた。
そうとしか考えられなかった。
おそらくは香菜の仕業。
「笹本さん、どういうこと?あなた、泥棒じゃない」
「違います。私もポーチがなくなって困っていたんです」
「ふううん。嘘の上に嘘を塗り固めるんだあ」
「だから、違います!」
「じゃあ、なんで、あなたのポーチにあたしの指輪が入ってるのよ!」
スタジオ内の空気が一気に悪くなった。
状況的に香菜の指輪を盗んだのは美和。
美和はスタジオ内の誰もが自分に厳しい視線を送っているのを感じた。
「ねえ、みんな。やっぱり警察を呼んだ方がいいかしら?!」
「香菜ちゃん、そこまではしなくても…」
「美和ちゃん、ちょっと間違えただけだよね」
「香菜ちゃんに謝ろうよ」
スタジオ内にいるスタッフたちは、美和に謝罪するよう口々に勧めてきた。
誰も香菜を怪しむ者はいない。
いや、思っていても口に出せないのだ。
香菜の父親は大御所俳優で、実家は代々続く名優の家。
香菜の父親は芸能界の有力者で逆らえる者はいないとされていた。
「そうね。土下座すれば許してあげるわよ。ほら、何をつっ立ってんのよ。謝んなさいよ!」
美和は悔しくて涙が溢れてきた。
「何、泣いてんのよ!謝んなさいよ!ほら、土下座しなさいよ!」
石にかじりついてでもスタイリストになりたい。
これも夢を叶えるため。
美和は言われた通りに土下座した。
「ごめんなさい。私がやりました。以後、気をつけます」
美和は額を床に擦りつけるようにして香菜に謝罪した。
「あ、そ。わかればいいのよ。次からも使ってあげるから、身の程をわきまえてよね」
美和は額を床に擦りつけながら、グッと歯を食いしばっていた。
美和が謝罪したことで、香菜は指輪の件では警察沙汰にはしないと言ってくれた。
警察沙汰も何も、最初から嫌がらせのために香菜が自作自演しただけではないのか。
美和はどうしても納得できなかった。
こんな意地悪をされても続けていかなければならないのか。
美和は何が大切なことなのかわからなくなりそうだった。
「こんばんは」
その日の帰り道、美和はプリヤに立ち寄った。
こんな嫌な目に遭わされた日はプリヤで癒されたい。
美和はいつものテーブルの前に座った。
「笹本さん、今日は何にしますか?」
「うーん、どうしようかな」
「笹本さん、何かありました?」
空子は美和が落ち込んでいるのに気付いた。
「まあ、それは酷いですね」
美和の話を聞くと、空子は眉をひそめた。
「その香菜っていうモデル、意地悪で有名なの。あたし以外にもイビられているスタッフやモデルはみたい」
「そうだったんですか。女性が多い職場ってそうですよね」
「でも、あたしは絶対にスタイリストになりたいの。意地悪なんかに負けないわ」
「そうですね。ちょっと待っててくださいね」
空子は美和の話を聞くと、カウンター内にいるマスターに何か言葉をかけていた。
「笹本さん、これでも飲んで元気を出してくださいね」
「え、コーヒーは頼んでないけど」
「マスターからです。プリヤスペシャルブレンド、サービスしますよ」
空子は一杯のコーヒーをテーブルの上に置いた。
「これ、頂いちゃっていいの?」
「どうぞ。元気が出ますよ」
空子はにっこり微笑んだ。