喫茶プリヤ 第四章 七話~自惚れ

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写真はイメージです。

 

翔はフィロス電機の会長代理という肩書きだったが、養父の二階堂肇会長は80歳を超えた高齢ということもあり、ほぼ引退したも同然で事実上の会長として翔が業務をこなしていた。

 

「会長、もうすぐ財界の食事会の時間です」

「あ、もうそんな時間か。出かけるか」

 

翔は毎日忙しく会長業に取り組んでいた。

まゆがいない会長室の様子にも、翔は慣れてきていた。

まゆはトントン拍子に話が進み、アステールと契約。

アイドル歌手として華々しくデビューしていた。

デビューしてからというもの、まゆはアッという間にトップアイドルの仲間入りを果たし、人気に火がついていた。

スキャンダルを嫌う事務所のアステールの意向で、まゆと翔は別居させられていたが、翔はおせっかいで世話焼きのまゆの干渉から逃れられると内心では歓迎していた。

そうは言っても、自分こそがまゆの全てを知る人間だという優越感は常に心の中にあった。

そんなことよりも、自分は名うての一流企業、フィロス電機の事実上の会長。

トップアイドル、佐伯まゆとは懇ろな関係。

若くして一流企業の会長職にあり、財界でも発言力を増し政治家からも一目置かれている。

金も名声も手に入れ翔は優越感に浸っていた。

そして、最近はまゆを通して芸能界の知人もでき、華やかな女性とも付き合いができていた。

まゆに会えなくても、いくらでも代わりになる女性はいた。

それにしても、なぜ自分にはこんなにツキが回ってきたのか。

思い返せば、家族にも疎まれ、施設に収容されそうだった冴えない高齢者だった自分が、こんなにもツキに恵まれるとは、なぜなのだろう?

翔は時々そう思うことがあったが、あまり深くは考えてはいなかった。

 

 

「会長、お疲れさまでした」

「あ、ちょっと待ってくれよ」

「はい?」

 

財界人との食事会を終え、フィロス電機に戻る途中、翔を乗せた車はプリヤの前を通りかかった。

翔は久しぶりにプリヤを見かけた。

相変わらず静かで客はいないのだろう。

 

「おい、ちょっと停まってくれ」

「はい」

 

翔はプリヤの前で車を停めさせて降りた。

 

「会長、いかがなさいましたか?」

「先に帰っていいぞ。俺は後からタクシーで帰るから」

「しかし、会長。それでは…」

「いいからいいから。ちゃんと帰れるから。お前も帰っていいぞ」

「左様ですか…恐れ入ります。それでは、お気をつけて」

 

会長専用車の運転手は不思議そうな反応を見せながらも、言われた通りに走り去り、それを見届けた翔はプリヤの玄関の扉を開けて店内に入った。

 

「よ!空子!元気だったか?!」

「え?え、いらっしゃいませ…」

 

ウェイトレスの空子は、プリヤに入ってきた翔にそう言われて少し驚いていた。

 

「俺だよ、末吉だよ!」

「え?末吉さんって、あのおじいさんの末吉さんですか?」

「そそそそ。俺さ、誰にも言ってないけど、なぜか若返ったんだ。見てくれよ!それにさ、俺、今はフィロス電機の会長代理なんだぜ」

 

翔はくるりと一回転して、自分自身を空子に見せた。

 

「まあ、そうだったんですか」

 

空子はネットニュースやプリヤの店内にある新聞、雑誌を見てフィロス電機に若い会長代理が誕生したことは知っていたが、それが客として来ていた末吉と同一人物だと知って驚いた。

 

「まあ、俺にも運が回ってきたってことだよな」

「ええ、すごいですね」

「まあな。俺さ、アイドルの佐伯まゆとも仲がいいんだぜ。まゆの奴さ、俺にベタ惚れでさあ」

 

翔は聞かれもしないのに自慢話を始めた。

今やトップアイドルの佐伯まゆの恋人は自分であること。

しかし、その一方で翔は気に入ったクラブのホステスにマンションを買い与えたり、まゆの伝手で知り合った芸能界の女性、モデルや女優の卵とも親しく交際していたり。

そんな自慢話を翔は空子の前でペラペラひけらかした。

 

「俺さ、もう絶好調だよ。なんで、こんなにツイてるのかな?」

「さあ?末吉さん…翔さんが努力されたからじゃないですか?」

「でもよ、冴えないじじいがこんな若い男前になれるか?」

「ええ、不思議ですね」

「まあ、いいや。一晩寝たら覚める夢かとも思ったけど、そうでもないみたいだしな。まだまだいい思いできるぜ。ウヒャヒャヒャヒャ」

 

翔は頼んだコーヒーを飲み干すと立ち上がって会計を済ませようとレジに向かった。

 

「じゃあな、空子。俺も忙しいからいつまた来れるかわかんないけどよ。何か困ったことがあれば、いつでも来いよ。何でも望みを聞いてやるよ」

 

翔は自信たっぷりにレジの前で財布から一万円札を出した。

 

「あら、ごめんなさい。細かいのありますか」

「おっと、そっか。じゃあ、釣りはいらないよ。小遣いで取っとけよ」

「それも、ちょっと…」

「いいからさ、取っとけよ。じゃあ、マスターもお元気で」

 

翔はレジに一万円札を置いたままプリヤを出て行った。

 

プリヤを出た翔はすぐにタクシーを拾い、家路についた。

空子も若返った自分を見て驚き、今の自分の生活の様子を羨んでいるように見えた。

翔はタクシーに揺られながらそんなことを考えた。

それにしてもプリヤはなぜ潰れないのか?

一万円札を出して釣銭がないということは、やはり店は流行っていないのだろう。

空子もマスターも浮世離れしている。

翔はいろいろ考えを巡らせたが、ふと気がついた。

空子といえば、スカイゾーンが開発し電子頭脳にエラーが見つかって回収されたアンドロイドと同じ名前ではないか。

プリヤにいるウェイトレスも空子。

偶然、同じ名前なのか?

プリヤには謎が多い。

 

「あ!そうか!」

 

翔は思わず声に出してしまった。

黙って運転しているタクシーの運転手も少し驚いたようだった。

 

「そういうことか」

 

翔は声を抑えて独り言を続けた。

自分が変身する前、プリヤでコーヒーを飲んだがその後すぐに、一晩経ったら若くてハンサムな男に生まれ変わることができた。

もしかしたら、あのコーヒーに秘密が隠されているのかも知れない。

頼んでもいないのに、スペシャブレンドだと空子は勧めてくれた。

やはり、あのコーヒーが何か関係があるに違いない。

もう一杯、二杯と飲めば更にツキが回ってくるのではないか。

これはいいことに気づいた。

プリヤスペシャブレンドを飲みさえすれば、何もかも上手くいくのだ。

翔は一人でニヤリと笑った。

今夜は、まゆが遊びに来る日。

トップアイドルと秘密の逢瀬を重ねる優越感に翔は浸っていた。

そのうえ、他の女性にもモテモテ。

会社に行けば、自分の一声で何でも決まり逆らう者はいない。

養父の二階堂会長も高齢で、もうすぐ死ぬだろう。

そうなれば、フィロス電機は自分のもの。

金、女、権力。

翔は欲しいものを全て手に入れた。

何か困れば、プリヤスペシャブレンドを求めればよい。

自分は向かうところ敵なし。

何でも思いのままにできるのだ。

翔は笑いが止まらなかった。

 

 

「翔さん、茄子のお味噌汁、できたわよ」

「お、そっか。食おう食おう」

 

その日の夜、仕事を終えたまゆが翔のマンションの部屋にやって来た。

すっかり忙しくなったトップアイドルのまゆだったが、翔の前では変わることなく素直で世話好きで可愛らしかった。

 

「翔さん、美味しい?」

「うんうん、旨い旨い!まゆが作る味噌汁は最高だな!」

「ねえ、炊き込みご飯も作ってみたの。翔さん、鳥めし好きでしょう」

「おお、気が利くなあ」

 

翔は内心、喜ぶふりもなかなか大変だと思いながらもまゆの料理の腕を褒めておだてた。

こうしてご機嫌さえ取っておけば丸く収まる。

まゆがデビューしたことで、芸能界と接点ができた翔はモデルや女優の卵とも接触を持ち部屋に連れ込むようになっていた。

 

「ああ、旨かったなあ」

 

翔はテレビのリモコンを持ち適当にチャンネルを合わせ始めた。

 

「翔さん、お風呂沸かしてくるわね」

「おお、そうだな!一緒に入るか?!」

「もう、いやだあ」

「ウヒャヒャヒャ。冗談だよ!」

 

好物に舌鼓を打った後は、ひとっ風呂浴びてリラックス。

痒いところに手が届くようなまゆの心遣いに、翔はおんぶに抱っこのようなものだった。

 

「おーし、ひとっ風呂浴びてくっか」

 

翔はいつも見ているバラエティー番組を見終わると、浴室に向かった。

 

「まゆ、好きなもの見てていいぞ」

「はい」

 

翔が浴室に行ってしまった後、まゆは夜のニュース番組にチャンネルを合わせた。

社会では今、何が起こっているのか。

まゆは本当の自分、スーパーコンピューターのスカイゾーンとして人間の社会の学習に余念がなかった。

その合間にまゆは翔が風呂上りに飲みたいであろうビールが冷えているか確かめたり、台所とリビングを行ったり来たりしていたが、床の上に何か光るものを見つけた。

 

「何かしら?」

 

指でつまめるほどの小さな光るもの。

 

「え、ピアス?」

 

まゆがつまんだのは片方だけのピアスだった。

翔の部屋にピアス。

翔はピアスを開けてはいない。

誰か他の人間が落としたのか?

そうとしか考えられない。

まゆがよく目を凝らすと、長い髪の毛が落ちているのに気づいた。

ピアスと長い髪の毛。

女性の影がちらつく。

まゆは拾った片方だけのピアスをそっと服のポケットに仕舞い込んだ。