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写真はイメージです。
康介が迅速に正確な処置をしたことでヤスの命は救われた。
「下川さん、お薬の時間ですよ」
「おう、ゆきちゃんかい。今日もきれいだねえ」
回復の途上にあるヤスは担当の看護師に冗談を言えるほどだった。
下川靖。
それがヤスの本名だった。
「なあ、コー、お前のおかげで命拾いしたよ。俺なあ、昔から心臓には気をつけろって医者に言われてたんだ」
毎日、様子を見にきてくれる康介に、ヤスはこれ以上ありがたいことはないと何度も繰り返していた。
元々、心臓に持病を抱えていたヤスだったが、ホームレスになったことで検査も治療も受けられずにいたところへ発作が起こった。
「コー、お前、本当にいい奴だよな。お前、救急隊員もビックリするくらい俺のことを助けようとしてくれてたんだよな」
「当然のことじゃないか」
「ああ、お前みたいな奴ばかりなら世の中はうまくいくんだがなあ。言ったろ、俺、フィロス電機に勤めてたけどよ」
ヤスは元フィロス電機の社員。
技術職でアンドロイド開発に携わっていた。
毎日、見舞いに来るようになった康介はヤスの意外な身の上話を聞かされていた。
「フィロス電機はロクなもんじゃねえ。奴ら、金儲けのためなら何をしたっていいと思っていやがる」
命を救ってくれた康介に、ヤスは何の遠慮もしなくなっていた。
「コー、騙されるなよ。フィロス電機が言ってる、アンドロイドヘブン構想は嘘っぱちだ。政府とも連んで大多数の人間を支配して、一部の奴らだけがいい思いをしようってんだ」
「ヤッさん、その話は十分わかったけど、俺たちに何ができるんだい?」
「そうだなあ。政府の息の根を止めることだな。問題はフィロス電機と連んでる政府だ。諸悪の根源はフィロス電機だが、それにお墨付きを与えているのが今の政府だ。花村総理大臣をひきずり下ろさなきゃ駄目だな。選挙には行けよ」
「そっか、わかったよ」
「フィロス電機の商品も買うなよ。あいつら手軽なゲームまで開発して、子供のうちから国民を洗脳しようとしていやがるんだ」
「うん、それもわかったよ」
康介はそう答えたが、なんだか自分が恥ずかしかった。
医師の団体は与党の憲民党の支持団体でもあり、康介をはじめとする大学病院の医師たちは選挙になれば必ず憲民党に投票していた。
なぜ、どうして、ということではなく、それが当たり前だから。
上にいる教授から言われれば逆らうことはできない。
万が一、憲民党が議席を減らすようなことがあれば、犯人探しが始まり不穏な空気が流れる。
将来、教授の椅子を狙ったり、地位や名声が欲しければ反旗を翻してはならない。
康介は医学生の頃からそう思い込まされていた。
「なあ、コー。悪い奴らは俺たちが無関心でいるから図に乗るんだ。何も考えずに憲民党なんかに投票したりだぞ。いや、投票に行くならまだしも、そもそも選挙に行かない奴らが多すぎる。アンドロイドどもで作られたアンドロイド新党。あいつらはフィロス電機の意向を国策に反映させるための実動部隊だ。あんなものを野放しにしてちゃ駄目なんだ。アンドロイドどもはな、フィロス電機や憲民党と手を組んでるように見せかけて、最終的には人間の支配を企んでいるんだ。俺がまだフィロス電機にいた頃、アンドロイドをまとめるスパコンの開発が進められていたんだ。そいつが諸悪の根源なんだ」
ヤスは政治に対する不満を語り、それを許す人間たちの無関心に憤り、かつて勤めていたフィロス電機の知られざる話を始めた。
「フィロス電機はやってはならないことに手を出してしまったんだ」
「どんなことだい?」
「スーパーコンピューターの開発だよ。人間以上の知性、思考、判断力、創造力、人間のありとあらゆる頭脳の働きができて、しかも人間以上の性能を持つスパコンだ。スカイゾーンといってな。最初は学習意欲が旺盛で教えたことは漏れなく覚え、可愛げのある奴だったんだが、だんだん知恵をつけてきやがった。それも悪知恵な。スカイゾーンは人間の大脳の構造を模して開発されたから感情や意思も持っていた。それが暴走するようになり、誰も手がつけられなくなってしまったんだ」
ヤスはフィロス電機を辞めたのではなく、解雇されたのだと話を続けた。
「スカイゾーンは自分が気に入らない人間を容赦なく切り捨てるようになった。しかも自主的に退職させるのではなく、懲戒解雇の形を取ってきやがった。上層部に従わない者は見せしめに解雇する。自主的な退社ならまだ次があるが、懲戒解雇だぞ。しかも、やってもいない横領や情報漏洩をでっち上げて、それを理由に懲戒解雇する。そうなると、もうどこも雇ってくれないだろ。スカイゾーンはそれをわかっていてやりやがった。つまりたちの悪い嫌がらせだな。フィロス電機には、奴にものを言える人間もいなくなっていったんだ。それに奴は憲民党とも繋がっている。代議士たちのスキャンダルをがっちり押さえて、言うことを聞かない者は悪事をマスコミに公表する。そうすることで憲民党すら支配下に置いているんだ。スカイゾーンはアンドロイドどもを使って気に入らない人間を葬っている。それが恐くて誰も奴に逆らえなくなっているんだ」
「それはひどいな」
「だろ。俺はフィロス電機をクビになってから、どこにも雇ってもらえなかった。解雇されたこともあるだろうが、スカイゾーンは利口だ。裏から手を回していたんだろうな。どこにも雇ってもらえない。女房も子供たちもそんな俺から離れていった。憲民党の代議士にもそういう奴は何人もいる。スカイゾーンの言うことを聞かず、報復でスキャンダルをマスコミに報じられたりな」
「それで、ヤスさんはホームレスに?」
「ああ、そうだ」
「この前、樹海で首つりをした田中代議士は、そのスカイゾーンに報復されたってことかい?」
ヤスは大きく頷いた。
「なあ、コー。お前、俺の代わりになってくれないか?」
「ヤッさんの代わり?」
「ああ。俺たちのグループ、あの辺一帯のホームレスたちを俺は仕切ってきた。しかしなあ、こんな入院するような羽目になって、俺ももう若くないとしみじみわかったよ。心臓が悪いのは前からだが、次に発作が起こったらどうなるかわからないだろ。手術しなきゃ治らないのはわかってるが、金もないのに手術なんて受けられるわけがない。俺はもう腹を括ったんだ。死んだら死んだで、それも運命さ。コー、お前はまだ若い。話してたらわかるよ、お前、頭いいだろ。俺はな、世の中から鼻つまみ者のように思われてるホームレスたちが、人並みの生活ができるような社会の仕組みを作りたいんだよ。お前がリーダーになってくれないか」
フィロス電機の影の支配者、スカイゾーンに嵌められたも同然のヤスだったが、やられっ放しではいられないと言い切った。
「俺たちはやりたくてこんな生活をしているわけじゃない。みんな、根は真面目で正直なんだよ。フィロス電機にいたって、スカイゾーンの言う通りに動ける人間なら出世が約束されるが、俺はスーパーコンピューターごときに頭を下げたりしたくなかった。俺たちのグループはみんなそうさ。腐った政治、それに無関心な人間たち、目先の金、人を押し退けて手に入れる地位や名誉。そんなものを求めるんじゃなくて、真っ当な人間として真っ当な生活がしたいだけなんだ。当たり前のことを当たり前だと言って、胸を張って生きたいだけなんだ」
康介はヤスの言葉を聞いてなんだか恥ずかしくなった。
大学病院で医師として働いていた頃は、患者のためというよりは自分の研究で成果を挙げることを考え、出入りしている製薬会社から過度な接待を受け、将来は教授の椅子を手に入れるために上司に媚びる。
そんな生活をしていた康介は自分が恥ずかしくなった。
職場の大学病院を離れても大学病院とパイプがある憲民党の代議士と会食したり、高級クラブに連れて行ってもらえ、華やかな夜の街の女性からはセンセイとおだててもらえる。
挙句の果てには、まだ若い康介は憲民党から選挙に出馬しないかとまで打診されたり。
康介はそれが当たり前だと思っていた。
養護施設で育った康介はそれをバネにして幼い頃から成績優秀だった。
人を蹴落としてでも上に行くことを求めて大人になった康介は、力のある者に付くことに何の疑問も持っていなかった。
しかしなぜか一夜にしてホームレスになってしまった康介。
今まではホームレスは人生の落伍者で努力が足りない落ちこぼれだと考えていた。
そうではないのだ。
ヤスの身の上話を聞いて康介は気づいた。
自分の知らないところで、信じられないようなことが進められている。
憲民党から働きかけられ、諸手を挙げて賛成だったアンドロイドヘブン構想には闇がある。
しかも、それは人間によるものではない。
高度な知性や思考、意思があるスーパーコンピューターが暗躍していたとは。
意に沿わない者を葬り人間を支配しようとする。
SF小説のような話は俄かには信じがたいが、目の前にいるヤスが経験してきたことは紛れもない事実なのだ。
康介はやっと目が覚めたような気がしていた。