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写真はイメージです。
勤務先の大学病院で”自分”に絡んだ康介。
警備員に取り押さえられたが警察沙汰にはされず解放された。
解放された康介は仕方なくホームレスの溜まり場に戻ってきた。
「おい、お前、あんまり見かけない顔だな」
「え、はい」
たむろしていた中年のホームレスたちから康介は声をかけられた。
「名前、何ていうんだ?」
「え、と。鈴木です。鈴木康介です」
康介はとっさに適当な偽名を答えた。
ホームレスとはいえ自分のことを知っているかも知れない。
なにせ自分は巷で持て囃される天才外科医なのだ。
康介はまだプライドにしがみついていた。
「へえ、まだ若いな。こっちこいよ。食うものが手に入ったんだ」
「はい」
康介が輪に加わると、ホームレスがパンと牛乳を手渡してくれた。
話を聞くとホームレスの支援団体が定期的に食料を提供してくれるとのことだった。
支援団体はパンと牛乳という軽食以外にも、豚汁やカレーなどの炊き出しや弁当を手配してくれたり、ホームレスたちの貴重な命綱になっているということだった。
「兄ちゃん、明日はカレーだぞ」
「あ、はあ」
明日は支援団体の炊き出しがある。
ホームレスたちは嬉々としていた。
「おい、鈴木って言ったよな。どこから来たんだ?」
どこから来たのか?
それはこっちが聞きたい。
なぜ自分がホームレスになり、こんなところに来てしまったのか。
自分の部屋から瞬間移動でもしてきたのか?
「え、いえ、あの…」
康介が答えられずにいると、ホームレスは皆うなずいた。
「あー、わかるわかる。ここでは前は何をしていたかとか、どんないきさつがあるのか、聞くのはご法度だからな」
「康介って言ったな?じゃあ、コーでいいな」
「ええ、いいですけど」
勝手に呼び名をつけられても、康介は苦笑してごまかすしかなかった。
「コー、それ食ったらいいところに連れていってやる」
「あ、そうですか。わかりました」
「タメ口でいいって、俺のことはヤスって呼んでくれ」
「はい」
ヤスと名乗るホームレスはどうやらこの溜まり場のリーダー的存在のようだった。
康介は逆らわない方がよいということはよくわかった。
「お、今日はたくさん集まってるじゃないか」
康介はヤスに連れられマンションのゴミ集積所にやって来た。
掃除されているとはいえ、ゴミを置いておく場所。
康介は異臭が不快で鼻をつまみたかった。
「コー、ここで空き缶を集めるんだよ。買い取ってもらえればいくらかの金になるからさ」
噂には聞いていたが、ホームレスは本当に空き缶を集めて金銭に変えるのか。
康介がじっと見ていると、ヤスは大きなゴミ袋を出して空き缶をどんどん詰め始めた。
「ヤスさん、でも、これって違法なんじゃないですか?空き缶のリサイクルは指定業者がやることになってますよね?」
「はあ?何言ってんだお前?法律なんて意味ねえだろ。そんなものが俺たちを守ってくれるっていうのか?」
そう言われてみればそうかも知れない。
ヤスがホームレスになったのはどんな事情かわからないが、社会からこぼれ落ち救いの手を差し伸べてくれる者は限られ、それでも生きていかなければならない。
法律というものは誰のためのものなのか。
康介は言い返せずヤスが空き缶をゴミ袋に詰めているのを見ていることしかできなかった。
「お、今日はちょっと多いな。ビールでも買うか」
ヤスが集めた空き缶を引き取る業者も、ホームレスたちの間ではよく知られた存在らしかった。
空き缶と引き換えに渡された小銭を握りしめ、ヤスは満足そうに笑った。
「コー、お前にも買ってやるよ」
「ありがとうございます」
「なんだ、まだ固いなあ。お前、ホントはいい育ちだろ。まあ、別に根掘り葉掘り聞かねえけどよ」
それでもヤスは康介を気に入ったのか、肩をぽんぽんと叩いてくれた。
溜まり場のリーダー、ヤスに気に入られた康介は他のホームレスともうまくゆき、生きていくための様々なことを教わった。
空き缶集め以外にも、支援団体と共に支援のための資金作りの冊子を編集して道端で売ったり、ホームレスの生活向上のための署名活動をしたり。
人生の落伍者としか思っていなかったホームレスたちだったが、接しているうちに悪人はいないと康介は理解できるようになっていった。
大学病院で派閥争いをし、教授選ともなれば裏では熾烈な戦いが繰り広げられる医師の世界の方がどうかしている。
名誉や高収入、ステイタスを求めてガツガツしていた自分はどうかしていた。
康介は次第にそう考えるようになった。
ホームレスの生活に馴染むのには時間がかかりそうだが、元に戻る方法がわからないことには適応するしかなかった。
ヤスが仕切るホームレスの溜まり場の雰囲気は悪くはなかった。
駅から都行政センターに行く間のナーガリー通り沿いに溜まり場はあり、都行政センターに出勤する職員や通りかかる市民からは白い目で見られていたが、ホームレスたちの団結は固かった。
そんなある日のこと、康介が空き缶集めから帰ってくると溜まり場は騒然としていた。
「ヤッさん!どうした!しっかりしろ!!」
「ヤバいよ。息、止まってんじゃねえか?!」
ホームレスたちは何かを取り囲むように集まっていて、康介が覗き込むとヤスが倒れていた。
「ヤスさん、どうしたんだ?」
「いきなり倒れたんだ。さっきまで普通に話してたのに」
康介が尋ねると、ヤスは急に意識を失って倒れそのまま呼びかけにも反応しないという。
「ちょっと、どいて」
康介はヤスを取り囲んでいたホームレスたちの輪から一歩抜けて、ヤスの脈を取ったり呼吸をしているか、心臓は動いているか確かめてみた。
なぜかホームレスになってしまった康介だったが、医師だった時のままヤスの状況を冷静に診断していた。
「救急車、呼んで!すぐに病院に運ばなきゃ駄目だ!」
ヤスはどうやら心臓発作を起こしたらしかった。
このまま心臓が止まればヤスは死ぬ。
康介は心臓マッサージを始めながら救急車を呼ぶよう指示した。
「で、でも、どうやって?」
「俺たち、ケータイなんて持ってないぜ」
「誰かに借りてくれ!誰でもいいだろ!」
狼狽えるホームレスたちに康介はテキパキ指示を出し、とにかくヤスの命を救うのが最優先だと心臓マッサージを続けた。
康介に言われるままホームレスたちは通行人にスマホを借りようと声をかけ始めたが、応じてくれる者はいなかった。
「コー、貸してくれないぜ…」
「じゃあ、行政センターまで走っていけ!どこかの窓口に飛び込んで電話借りろ!!」
スマホを貸してもらえずホームレスたちが弱気になっていても、康介は指示を出し続けた。
「わかった!行こうぜ!!」
ホームレスたちは都行政センターに向かって駆け出していった。
そうして5分ほど経ち、ホームレスたちが戻ってきた。
「コー!救急車、こっちに向かうってよ!」
「ヤス、大丈夫か?!死ぬんじゃないぞ!!」
「なんとかなりそうだな。自力で呼吸してるし、脈も取れる」
康介は心臓マッサージを続けながらも、正確に診断していた。
「コー、お前、詳しいんだな」
「なんか、医者みたいだな」
ホームレスたちがしきりに感心しているところへ、救急車が到着した。
「あ、来たな!おーい、こっちですー!」
康介が手を振りながら声をあげると、救急隊員が大急ぎで駆け寄ってきた。
「この人です!呼吸はしてますけれど…」
康介はてきぱきと救急隊員に状況を説明した。
「わかりました。どなたか、この中にご家族の方は…いませんね?」
救急隊員はホームレスたちを見回したが、家族として名乗り出る者がいるはずもなかった。
「僕が一緒に行きます!」
康介は医師としての使命感から同行を申し出た。
「そうですか、助かります」
素人にしては対応が手慣れている。
康介の行動と対応の正確さは救急隊員にも伝わっていた。
「じゃあ、みんな、俺、行ってくるよ!」
ヤスと一緒に康介が乗り込むと、救急隊員が救急車後方部のドアを閉め発進した。
「あー、行っちまったなあ」
「ヤッさん、大丈夫かな」
「それにしてもよ。コーの奴、ずいぶん慣れた手つきだったよな」
ホームレスたちはヤスの身を案じながらも、康介の振る舞いにすっかり感心していた。