喫茶プリヤ 第四章 二話~施設入所の朝

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写真はイメージです。

 

末吉はいつも通り、家族の中の誰よりも早く目が覚めた。

年を取ってから、朝、目が覚める時間が日に日に早くなるように感じていた。

若い頃は仕事に行く日の朝は眠くて眠くて仕方なかったのに、することもない高齢になってからはやたら早くに目が覚める。

布団から出ると、まだ眠っている家族を起こしてしまう。

末吉はいつもそうするように、布団に入ったままぼんやり天井を眺めていた。

今日はこれから入居する高齢者施設の一日体験入所。

一泊して食事を食べさせてもらったり、施設内にあるという大浴場で湯に浸かったり、息子が契約してくれた個室で休んでみたり。

朝食を済ませれば、末吉はこの日のために仕事を休んで施設に連れて行ってくれる息子の義弘が運転する車で施設に向かう。

息子の嫁の牧子もついて来る。

末吉は気の強い牧子が苦手だった。

持っていく荷物、洗面道具や着替え、昨日のうちに用意しておいたものを確認してみよう。

末吉は布団から出て、部屋の隅に置いてあった鞄を開けて中を確かめてみた。

 

「おや?」

 

洋服箪笥の扉に付いている姿見のような大きな鏡に映った人影。

部屋には自分しかいない。

映ったのは当然、自分のはず。

しかし、末吉は何か違うものが映ったような気がして鏡の前に立ってみた。

 

「え、えええ!!え!!」

 

早朝、家族はまだ眠っている。

それでも、末吉は驚きのあまり大きな声が出てしまった。

洋服箪笥の扉に付いた大きな鏡に映っていたのは見たこともない若い男だった。

 

「ええ……」

 

末吉は頬に両手で触れてみた。

すると、鏡の中の男も頬に触れているではないか。

頭の上に手を置くと、鏡の中の男はやはり頭の上に手を置いた。

何ということだろう。

鏡に映っているのは自分自身なのだ。

末吉は自分が全く違う人間になってしまったのだと悟った。

一体全体、何が起こったのか。

そうこうしているうちに、一階から家族の声が聞こえてきた。

これは、まずいことになった。

自分を起こしに家族が部屋にきたら、どんなに驚くことだろう。

しかし、窓から飛び降りるわけにもいかない。

 

「みのり、おじいちゃん起こしてきて」

「はあい」

 

牧子の声が聞こえた。

孫娘のみのりがトントンと階段を上がってくる。

末吉が部屋の中のどこかに身を隠そうとあたふたしている間に、みのりは軽くノックをして部屋のドアを開けた。

 

「おじいちゃん、起きて。朝ごはん食べるでしょ」

 

そう言いながらみのりはドアを開けたが、部屋の中にいる末吉を見て悲鳴をあげた。

 

「キャーーーー!!」

 

みのりの悲鳴は早朝の家の中に響き渡った。

 

「どうしたの?みのり!」

 

悲鳴を聞いた牧子が急いで階段を上がってきた。

 

「え!!どなた??!!」

 

見慣れない若い男を見た牧子は驚きながらも、不審者を見るような目つきに変わった。

 

「あなたー!!パパー!!ちょっと来てーー!!」

 

牧子が叫ぶと、末吉は牧子とみのりを押しのけて部屋を飛び出した。

 

「なんだよ、ママ。どうかしたか?…うわ!!」

 

飛び出してきた末吉に義弘はぶつかり階段から落ちそうになったが、末吉は構うことなく階段を駆け下り、大急ぎで玄関から外に出て行った。

自分の身に何が起こったのか?

末吉自身にもわからなかった。

しかし、全くの別人になった自分はどこかから侵入した不審者。

家族にそう思われて警察にでも捕まるのではないか。

自分でも何がなんだかわからぬうちに警察に拘束される。

それだけは勘弁して欲しい。

末吉はわずかな瞬間だったが、そう考えて家を飛び出してしまった。

 

家を飛び出した末吉は、行く当てもなく街をさ迷い歩いた。

変身してしまったのは若い男の姿。

若返ったせいか、ずっと歩き回っていても末吉は疲れを感じなかった。

やがて日が沈み、駅から出てくる人の波を末吉は眺めた。

勤めや学校を終えて、家族が待つ家に帰る人の群れ。

別人に変身してしまった自分には、もう帰る場所がないのか。

しかし、これで施設に入れられなくて済むではないか。

自分は晴れて自由の身になったのだ。

末吉は不安もあったが、若返って自由になったことで解放感のようなものも感じていた。

ただ、帰る場所がなくなってしまい、末吉は他のホームレスと同じように盛り場をうろつき、腹が減れば飲食店の裏口に置かれたポリバケツから生ごみを漁って口にしていた。

この生活がどれだけ続くのか。

いくら若返ったといっても、この生活を続けるのは応える。

そんなことを考えながら歩いていると、通りかかった店の前で声をかけられた。

 

「お兄さん、ちょっと、お兄さん」

「え、わし…ぼ、僕ですか?」

「そそそそ。お兄さん。最近この辺をうろうろしてるよね。まだ若いのにホームレスかい?」

「え、ええ。まあ…」

「そっかあ。うちの店で働かないかい?」

「え?」

 

末吉が店の看板を見上げると、そこは有名ホストクラブのマドゥーヤだった。

 

「お兄さん、うちの店、今、男子従業員を探してるんですよ。どうですか?働きませんか?」

 

マドゥーヤといえば有名なホストクラブで、政治家や財界人の奥方、有名女性芸能人の御用達の店。

自分なんぞが働けるのだろうか。

末吉が返答に困っていると、声をかけてきた男が続けて言った。

 

「お兄さん、うちの店はホストの質、レベルともナンバーワンですからね。お兄さんはかなりのイケメンだ。うちのお客さんに人気出るんじゃないかなあ。ホームレスで住むところがないなら、店の寮に入ればいい」

 

マドゥーヤの男子従業員の寮は店から近いところにあるマンションで、格安の料金で入居できる。

そう説明された末吉は助け舟を出されたような気がした。

取り敢えず雨風に当たる心配がなくなり、働けるところがあれば食べるものに困ることもなくなる。

末吉は勧められた通りに働きたいと答えた。

 

「ようし!なら、決まりだ。あと1時間くらいでオーナーも出勤してくるから、詳しい話はそこで。お兄さん、ホントにいい男だねえ」

 

何がなんだかわからないうちに若返ってしまった末吉だったが、自分の外見を褒められて悪い気はしなかった。

 

 

「なるほど、君みたいなイケメンさんなら、うちの店でも十分に通用するよ。いつから働けるかな?今日、体験入店してみないか?」

 

夕方になって出勤してきたマドゥ―ヤのオーナー、五十嵐は末吉を一目見てすっかり気に入ったようだった。

五十嵐といえば、伝説のカリスマホストとしてテレビにも出ていて、末吉も何度かバラエティー番組に出ているのを見たことがあった。

 

「それにしても、本名が末吉かあ。古風な名前でそれもなかなかいいね。源氏名はどうしようかな」

 

五十嵐は客向けのホストのリストをぱらぱら捲った。

末吉からもリストの中身は見えていたが、どのホストも華やかな美男子で末吉は自分に務まるのか気後れした。

 

「お、そうだ。翔にしよう。翔、もういるかと思ってたら、意外といなかったな。他のホストと被らないから、君の名前は翔だ。今日から君は翔、いいね」

「は、はい…」

「よし!決まった。じゃあ、次は服だな。今日は間に合わないから店で用意してるスーツを貸してあげるよ」

 

五十嵐は店内にいた他のホストを呼び、末吉をロッカー室に案内するよう命じた。

ホストとして働くことになってしまった。

酒に弱く、口下手な自分に務まるのだろうか。

末吉は不安でいっぱいだったが、それでも高齢者施設に入れられ年を取っていくだけで死ぬのなら、思い切って全く別の世界に飛び込んでしまおうと腹を括った。

 

「わああ、かわいいわねえ」

「翔くんっていうのね。イケメンさんじゃなあい」

 

末吉は翔の源氏名で先輩ホストと一緒に、客として来た有名政治家の妻たちのテーブルに付いた。

 

「翔くんは何歳なの?」

「あ、はい、あの…21です」

「まあ、そうなの。若いのねえ」

 

末吉はとっさに自分が結婚した時の年齢を答えた。

あの頃の自分には夢と希望があった。

自分には何でもできると思い込んでいた。

またあの頃に戻って人生をやり直せたら。

そんな無意識の気持ちがつい口から出てしまった。

全くの別人に変身してしまった自分。

ホストは一つのきっかけに過ぎない。

若返って、今までやりたくてもできなかったことをやりたい。

末吉の人生はここからが新たなるスタートラインだった。