喫茶プリヤ 第四章 三話~新しい自分

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写真はイメージです。

 

マドゥーヤで働き始めた末吉は、翔の名で一躍人気者になった。

あれよあれよという間に末吉は店の売り上げナンバーワンになり、店の外に出ている看板にも一番目立つ場所に写真を載せてもらえるようになった。

 

「翔くん、今日もお寿司食べに行きましょっか?」

「うひゃあ、嬉しいなあ。行きます、行きますとも!」

 

多くの太客を持つようになった末吉だったが、中でもフィロス電機会長の妻、二階堂瑠璃子に気に入られ、店が終われば一緒に食事をしたり瑠璃子が予約してくれたホテルの部屋で共に過ごすような仲になっていた。

 

「末吉くん、お寿司、美味しかったわねえ」

「そうっすねえ。やっぱり港寿司は最高っす」

 

家族にも疎まれ、施設に入れられてあとは死ぬのを待つだけの末吉だったが、若いイケメンに変身して生まれ変わってからというもの、全てがうまくいっていた。

大物政治家や財界人の奥方、有名女性芸能人に気に入られ、ブランドものをプレゼントされたり高級店で食事を奢ってもらうのは当たり前、豪華な海外旅行に連れていってもらったり、小遣いをくれる客までいた。

特に瑠璃子は特別で、二人だけでいる時は本名の末吉で呼んでくれていた。

 

「ねえ、末吉くん。今の仕事、いつまで続けるの?」

「へ?」

 

璃子はホテルの部屋にある冷蔵庫からワインの瓶を出しながら末吉に尋ねた。

 

「いつまでって…考えたこともないや」

「そうなの?でも、よく考えてみて。ホストの仕事はいつまでもできるものじゃないわよ。今は若いからいいけれど、将来のこと、考えてる?」

「いやあ、そう言われると…全然」

「やっぱり考えてないのね。何か目標はないの?独立して店を持つとか、別の業種で商売を始めるとか」

「うーん」

 

末吉は答えられなかった。

とにかく若返ってチヤホヤされ、毎日面白おかしくしているだけで金が入ってくる。

家族と暮らしていた頃の自分とはもう違う。

それが、とにかく楽しくて他のことなど考える余地はなかった。

 

「末吉くん、うちの会社で働かない?」

「え?」

「フィロス電機で働かない?」

「ええ!俺が?!フィロス電機で?!」

 

末吉は驚いて声が裏返ってしまった。

フィロス電機といえば超一流の会社で、有名大学を優秀な成績で卒業してもなかなか入社できないことでも有名だった。

 

「そう。主人がね、秘書を探してるのよ」

 

璃子の夫はフィロス電機の会長を務める二階堂肇。

末吉は何度かニュースで見たことがある程度だった。

璃子は二階堂会長の後妻で、二人は20歳以上年が離れていた。

そのせいか、二階堂夫妻は互いに関心が薄く、瑠璃子ホスト遊びに夢中になろうが肇は無関心だった。

 

「主人は私がホストに熱を上げようと何も言わないの。だって、私も主人がクラブのホステスを囲ってたってどうでもいいわ。お互い割り切ってるし。だから、末吉くんを紹介しても何も気にしないと思うのよね。末吉くんは頭もいいし、礼儀正しいし、他のホストとは違うわ。何て言うのかな、中身は落ち着きはらった年配者みたいね」

「そ、そうっすかねえ…」

 

末吉は本当の自分を見透かされているような気がして苦笑いした。

 

「末吉くんはホストにしておくのも、もったいないくらいよ。ね、二階堂はもう高齢だし、もし死んだりすれば末吉くんが経営のトップになるのもありじゃないかしら」

「え、俺が?フィロス電機の経営者?」

 

フィロス電機は末吉が若い頃からアンドロイド開発で業界をリードし名を馳せていた。

末吉も憧れたことはあったが、家庭の事情で定時制の高校しか出ていない末吉には手の届かない別の世界のものだった。

いつかは自分も有名な会社に勤めて高い給料をもらい、華やかな生活ができたら。

末吉はそんな風に夢想したこともあった。

 

「ね、いい話でしょ。二階堂には私から話しておくから」

「え、あ、はい…」

 

末吉はほぼ押し切られるように話をまとめられてしまった。

 

 

それから程なくして末吉はマドゥーヤを辞めフィロス電機に入社した。

璃子の言う通り、末吉はフィロス電機のトップ、二階堂会長の秘書として働き始めた。

 

「会長、おはようございます」

 

末吉は毎朝、出勤する二階堂会長を迎えに自宅まで車を運転して来るようになっていた。

璃子も毎朝、二階堂の邸宅の玄関まで出てきては末吉に軽く会釈してくれた。

二人は末吉がホストをしていた頃から懇ろな仲。

二階堂会長はそれを知っているのか、いないのか。

末吉にはそこまではわからなかったが、とにかく会長秘書として精一杯務めようと決めていた。

元来、真面目な末吉は自分にできる最大限のことをしようと仕事をこなしていた。

 

「そうだ、上山、明日の会議だが」

「はい、お任せください。資料はもうまとめてあります」

「お、そうか。お前は仕事が早いな」

 

二階堂会長は末吉をすっかり気に入って、気さくに話しかけてくれるようになっていた。

 

「上山、前に言ったこと、どうだ。考えてくれたか?」

「え、あ、はい」

「お互いにいい話だと思うんだが、どうだ。決心はついたか」

 

二階堂会長は末吉に自分たち夫婦と養子縁組をしないかと持ち掛けていた。

二階堂会長は死別した前妻との間に子がなく、瑠璃子が後妻できてからも子供ができなかった。

どうしても後継者が欲しい二階堂夫妻は専門の病院で検査を受けたが、子供ができない原因は会長の方にあるという結果が出ていた。

既に80歳近い会長はショックを受けたが、治療の方法はなく夫妻は一時途方にくれていた。

後継者問題をどうしようか?

そんな風に悩んでいたところに末吉が現れた。

璃子はもちろん、二階堂会長も末吉を甚く気に入り養子として迎えてはどうかと意見が一致していた。

 

「上山、ぜひ、私たちの息子になって欲しい。お前は利発で気も利く。私はお前のような若者に会社を継いで欲しいんだ」

 

フィロス電機は元々、近代以前の中世の頃から続く老舗中の老舗。

中世のからくり人形づくりから始まった個人商店が前身で、70年ほど前に終わった大戦争の時代に武器を開発して一気に成長し、今ではコンピューターやアンドロイドの開発で他の追随を許さないナンバーワン企業の座を確立していた。

そんなフィロス電機だったが、経営方針は意外に保守的で代々の経営トップは二階堂一族が継いでいた。

そんな由緒ある会社の血筋を途絶えさせるわけにはいかない。

二階堂会長は何としても末吉との養子縁組をまとめたかった。

 

「上山、私も瑠璃子も、お前のことは息子のように思っているんだ。お前が息子になってくれれば、遺産も全てお前のものだ。頼む、私たちの息子になってくれ」

 

天下のフィロス電機の会長が、少し前までホストをしていた自分に懇願してくる。

末吉はなんだか自分が立派な人間になったような気がして自尊心をくすぐられた。

若い自分に変身する前は家族にも疎まれ、高齢を理由に施設に入れられ、後は死ぬのを待つばかり。

そんな以前までの自分と比べて全く違う自分になり幸せも名誉も金も、全てが手に入る。

そんな人生の大逆転が目の前にぶら下がっている。

末吉は運転しながらはっきり答えた。

 

「わかりました。二階堂家にお世話になります!」

「おお、そうか。それでいい。お前こそが二階堂家を継ぐに相応しいんだ」

 

二階堂会長はにっこり笑って安堵したようだった。

 

 

それから一ケ月後、二階堂夫妻と正式な養子縁組の手続きを済ませた末吉は、この日の為に新調したスーツをめかし込んでフィロス電機にやって来た。

フィロス電機では会社の節目節目、全従業員に向けて知らせることができた時にはオンラインで本社、支社、地方の工場、全てを繋いで告知を行うのが通例になっていた。

 

「全従業員の皆さん、いつもご苦労さまです。今日は皆さんに大切なお知らせがあります」

 

二階堂会長は会長室に置かれたカメラに向かって語り始めた。

全国の社員は仕事の手を止めて、各職場のテレビモニターを見つめて二階堂会長の話にじっと聞き入っていた。

 

「皆さん、今日は皆さんに紹介したい人間がおります。このたび、私ども夫婦と養子縁組し息子になってくれた翔です。二階堂翔です」

 

二階堂会長に紹介された末吉は、自分の方を撮ろうと角度を変えたカメラの方を正面から見て、テレビモニターの向こうにいる従業員たちに語りかけた。

 

「ご紹介に与りました二階堂翔です」

 

二階堂会長と養子縁組をしたことで末吉の姓は二階堂となり、古風すぎる元の名前・末吉も裁判所に申し立てすることで、ホスト時代の源氏名そのままの翔を正式な戸籍名に変更していた。

元の名前・上山末吉を捨て、全く新しく生まれ変わった翔。

それにしても、若い姿に変身してから全てがうまくいく。

それは何故なのか?

末吉は不思議に思ってはいたが、うまくいくならそれで良い。

そんな風に軽く考えていた。