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ここから本編です。
写真はイメージです。
和也は再開発の現場で働く建設作業員。
大手の企業グループ、ぺリウシアの出資で再開発が進められる安済町の現場で和也は働いていた。
大手の企業グループが主導する現場での仕事は給与もよく、夢をかなえるためにも和也は仕事に励んでいた。
和也の夢はミュージシャンになることだった。
仕事が終わればまっすぐ帰り、シャワーを浴びてからいつもの場所に出かけて自作の歌を披露するのが日課だった。
仕事の現場からも近い緑川公園の入り口辺りで、和也はほぼ毎日ギターを手にして歌っていた。
大部分の通行人は無関心で通り過ぎるだけだったが、何人かは固定客のような者もいて、和也の歌に耳を傾けてくれていた。
最初は置いていなかったが、小銭を投げ入れる空き缶を前に置き和也は歌っていた。
和也の歌を聴いていたある男性が、投げ銭を入れられるものを置いた方がよいとアドバイスしてくれ、和也がその通りにすると一晩で千円ほどは投げ入れられるようになっていた。
仕事がある日は仕事が終わってから歌う和也だったが、仕事が休みの日曜日は朝から緑川公園の入り口前に立ち、夕方まで歌っていた。
日曜日は聴衆も多く、固定客以外でも立ち止まって耳を傾けてくれる通行人もいた。
『ああ~僕の思いが届くなら~この世に~ただ一人だけの君に~届けたい~この思い~』
自作の歌を一曲歌い終わるたびに、和也を囲むようにして立っていた聴衆から拍手が起こり、空き缶に小銭が投げ入れられた。
その中に不思議な美少女がいた。
メイド服を着ていて、昭和の頃の専業主婦が夕方に買い物に行く時持っていたような買い物かごを抱えた少女。
買い物かごからはいつも長いフランスパンが出ていて、少女は買い物帰りのようだった。
メイド服など、オタク趣味の女性がアニメのイベントでコスプレする時に着るものではないだろうか。
いつも歌を聴きにきてくれる美少女は、メイド服を普段着にしているのだろうか。
和也は不思議に思っていた。
毎週日曜日、和也が昼間から歌う時、必ず少女は聴きにきてくれていた。
「今日もありがとうございました!」
夕方を過ぎ陽が傾きそうになる頃、和也は歌を切り上げた。
和也の歌に耳を傾けてくれていた聴衆はそれぞれその場を後にした。
そういえば、今日いつも来てくれる美少女がいなかった。
和也は少しだけ気になった。
投げ銭された小銭を財布に移し、ギターをケースに入れるとそのまま担いで和也は緑川公園の前を離れた。
家路についた和也は今日こそはと思っていることがあった。
緑川公園から駅まで行く間にある小さな喫茶店が和也は気になっていた。
喫茶店の名前は”プリヤ”。
古びた感じだったが、それが却って和也の興味を惹き付けていた。
今日こそはプリヤに入ってみよう。
和也はそう決めてギターを背負って歩き出した。
プリヤの前についた和也は改めて店の入り口に掲げられている看板を見上げた。
レトロな雰囲気が漂っていて落ち着いた佇まいに和也はますます惹き付けられた。
少し緊張感を感じながら、和也はプリヤの入り口のドアを押して中に入った。
「いらっしゃいませー」
やっぱり思った通り。
和也はそう納得した。
プリヤの店内は昭和の頃のような雰囲気が詰まっていた。
ビロードのような生地が張ってある椅子。
店内の照明は少し暗めで、壁紙も今流行の白くて明るい感じのものではなく、ビロードの椅子に合わせたような茶色いもので統一されていた。
しかし、意外にも他に客はなく、店の中は静かな時が流れていた。
和也は店の中を見回し、いちばん奥の席に座った。
「いらっしゃいませ」
ウェイトレスが水の入ったコップを持ってきてくれ、テーブルの上に置いた。
「あ!」
和也はウェイトレスの顔を見て、思わず声を漏らした。
なんと、プリヤのウェイトレスはいつも日曜日に和也の路上ライブを聴きにきてくれている美少女だった。
「はい?」
和也が声を漏らしたので、ウェイトレスは何事かと反応した。
「いや、あの、あのう、いつも僕の路上ライブに来てくれてるよね」
和也の方から口を開いた。
「あ、あの緑川公園の前で歌ってる方?」
「そうそう。君、いつも日曜日に来てくれてるよね」
やっぱりそうだった。
和也は嬉しそうにウェイトレスに話しかけた。
「ここのウェイトレスさんだったのか。来てくれる時、いつもメイド服だから何をしてる人なのかなと思ってたんだ」
「ええ、日曜日はお店のメニューで使う食材を買い物しに行ってるんです。いつも歌ってるでしょう。いい曲ばかりですよね」
「わあ、嬉しいなあ。励みになるよ…あ、そうだ、アイスコーヒーをもらおうかな」
「はい、かしこまりました」
美少女ウェイトレスは愛想よく注文に応えてくれた。
和也は曲を褒められて照れくさいような気もしたが、やはり嬉しかった。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
ウェイトレスがアイスコーヒーを持ってきてくれると和也はまた話しかけた。
「ねえ、名前は何て言うの?僕は和也、加原和也っていうんだ」
「まあ、素敵なお名前ですね。私は空子です」
「そらこ、青空の空子かい?」
「ええ、そうです」
「いい名前だね」
「ありがとうございます」
和也と空子は昔からの知り合いであるかのように打ち解けた。
「旨い!このアイスコーヒー、すごく旨いよ!」
アイスコーヒーを一口飲んだ和也は他には誰もいない店内で、カウンターの向こうにいる空子とマスターに聞こえるように声をあげた。
「お代わりもらおうかな」
「ありがとうございます」
「いいお店だなあ。気に入ったよ」
お代わりのアイスコーヒーも飲み干した和也は、傍らに置いてあったギターケースからギターを出した。
「空子、今日はこの店のためだけに歌うよ」
「まあ、素敵ですね」
和也はギターをポロロンと鳴らし、即興で歌い始めた。
『いつの日か~夢を歌い~かなえた日に~そこから~また歩き始めよう~』
和也が即興で何曲か披露するのを、空子とマスターはじっと聴き入った。
アコースティックギターの優しい音色に、和也の歌声が重なり他に客はいなくても温かい空気が広がっていくようだった。
「わああ、加原さん、素敵な歌じゃないですか」
「ありがとう。そう言ってもらうと嬉しいよ」
和也はプロを夢見て自作の曲を何曲も書き溜めていた。
「僕は三澤俊介さんみたいなミュージシャンになりたいんだ。本当はロックが好きなんだけど、エレキギターは高いしアパートで練習するにしてもうるさいだろうし」
「そうだったんですね」
「うん。この前、曲を録音したデモテープをレコード会社に送ったんだ。まだ何も返事はないけど。曲をよく知ってもらうために楽譜も送ったんだ。これ、コピーなんだけど」
和也はリュックサックから楽譜のコピーを出して、空子に見せてくれた。
「わあ、何曲もありますね」
「この中の一曲でいいから認められたいなあ。やっぱりプロになってCDデビューしたいよ」
「加原さんならなれますよ」
「そうかな?」
「ええ、温かみのある曲は人の心を掴むと思います。でも、ロックって意外ですね」
「よく言われるよ。でも、僕はやっぱりロックをやりたいんだ。既存のものを疑い、常に批判し、より良い社会を作るために僕は歌いたいんだ」
和也の志は高い。
空子はすっかり感心していた。
「空子、僕がライブできるようになったら来てくれよ」
「もちろんです。素敵な歌をたくさん聴かせて下さいね」
「じゃあ、明日も仕事だから」
「頑張って下さいね」
「うん、ありがとう」
和也はギターをケースに戻し、勘定を済ませるとギターケースを背負ってプリヤを出ていった。