喫茶プリヤ 第一章 六話~社長と呼ばれて

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写真はイメージです。

「秀彦さん、ごはん、できたわよ」

 

由梨子は毎朝、甲斐甲斐しく朝食を作ってくれた。

お披露目のパーティーも終わり、秀彦は由梨子との同居生活を始めた。

二人は由梨子の父、花村代議士が所有する高級マンションに引っ越してきた。

秀彦は大学生の頃から住んでいたアパートを引き払い、セレブ御用達の高級マンションで由梨子との新しい生活をスタートさせていた。

 

「どう?美味しい?」

 

その日の朝食はじゃがいもの味噌汁にほうれん草のおひたし、納豆に焼き魚という和食のメニューが並んだ。

秀彦がどちらかというと和食が好みだと言うと、由梨子はそれに応えてくれた。

 

「うん、旨いよ。由梨子は何でもできるんだな」

「任せて。私はゆくゆくはファーストレディーですもの。秀彦さんにどこまでも着いて行くわ」

「ええ、そう言うなよ。本当に僕に政治家が務まるのかなあ」

「大丈夫。お父様は人を見る目はあるのよ。あ、食べたら、適当に置いておいて。片付けておくから」

「うーん、そうか」

 

秀彦が空いた食器を片付けようとすると由梨子が先に立ち上がったが、結局、二人で並んで台所に立ち、後片付けを始めた。

 

「でも、秀彦さん。こうして家事を手伝うのも好感度を上げるにはいいんじゃない。今どき家事をしない男なんて流行らないわ。そうよ!家庭的な面をアピールできれば、選挙にも有利だわ!」

「せ、選挙…」

「あら、違うの?違わないじゃない。あなたは、お父様の後継者なんだから」

「まあ、そうだけどさ」

「ね、そうでしょ…あら、そろそろ時間じゃない?」

 

由梨子は壁掛け時計を見上げた。

今日は秀彦の初出社日。

秀彦は花村代議士の秘書として政治の勉強を進めることになっていたが、花村代議士が顧問を務める会社の取締役にも就任し、週に一度だけ出社することになっていた。

コンサルティングの会社だったが、週に一度だけ出社する簡単な仕事だと言われていた。

大物の花村代議士が顧問を務めるコンサルティングの会社、エテリア。

何やら胡散臭さが漂っていたが、秀彦は言われたことをするだけだった。

 

「”あなた”迎えのタクシーが来たわよ」

 

来客を告げるインターホンが鳴り、応対した由梨子が秀彦を促した。

 

「あ、あなたって…」

「あらあ、いいじゃない。あたしが大学を卒業したら結婚するんですもの」

「ま、まあ、そうだよね」

 

秀彦は苦笑しながら由梨子から鞄を受け取り、玄関のドアを開けた。

 

「いってらっしゃい」

「うん、いってくるよ」

 

早くも夫婦のような会話。

プリヤスペシャブレンドの力はどこまで凄いのか。

秀彦は迎えに来てくれたタクシーに乗り込むと、これから週一で務めるエテリアに向かった。

 

秀彦が乗ったタクシーは街の中心部にある大きなオフィスビルの前で停まった。

 

「おはようございます、社長」

「へ?」

 

秀彦がビルの前でタクシーを降りると、30歳の秀彦より少し年下だろうか、若い男が出迎えるように立っていた。

形だけとはいえ、秀彦はコンサルティング会社・エテリアの社長。

前任の社長は花村代議士の学生時代の友人で、官公庁を定年になった後、社長を務めていたが健康上の理由で辞職していた。

秀彦はその後任。

要するに前任の社長はいわゆる天下りだったのだ。

そのポストに自分が就く。

秀彦は胡散臭い世界に足を踏み入れるような気がしていたが、世の中そんなものだろう。

勝ち組と呼ばれるためには、胡散臭いことにも手を染めなければならないのだろう。

秀彦はそう自分を納得させた。

 

「お鞄、お持ちしますよ」

「あ、ああ。ありがとう」

 

出迎えてくれた若い男は愛想がよく、秀彦の鞄も持ってくれた。

この男の様子を見る限りでは、そう怪しいところでもなさそうだ。

秀彦は少し安心してついて行った。

 

「社長をお連れしました」

「おう、ご苦労さん!」

 

エテリアはオフィスビルの高層階にあり、一つのフロアをそのまま借りていた。

 

「社長、おはようございます」

 

スーツ姿の男が数人、礼儀正しく挨拶してくれた。

信用して大丈夫ではないだろうか。

秀彦は内心ホッとしたものの、自分に与えられる仕事の内容のことを思うと、やはり気になるところはあった。

花村代議士によれば、秀彦の仕事は書類に承認の印鑑を押したり、資料に目を通したりする程度で、後は新聞を読んだりパソコンを触ったりしていればよいということだった。

印鑑を押すだけの仕事、暇な時は新聞でも読んでお茶を飲んでいればよい。

それでも暇ならパソコンを触って時間を潰す。

やはり何やら天下り先のようではないか。

やっぱり胡散臭くはないか。

秀彦はそんなことを考えながら社長の椅子に座った。

秀彦が席に着くとすぐに女子社員がお茶を淹れてくれた。

気を遣ってなのか、女子社員は新聞も持ってきてくれた。

秀彦はぼんやり座っている訳にもいかず、新聞に目を通し始めた。

新聞を読みながらフロア内の様子をそれとなく見てみると、表面上はフィロス電機の総務部にいた時と同じような、ごく普通の事務仕事が行われているようにしか見えなかった。

 

「社長、今夜、社長の歓迎会を開きたいんですが」

「え、そんな、気を遣わなくてもいいよ」

「いえ、もう店は押さえてあるんで。よろしくお願いします」

「うーん、そうかい?」

 

歓迎会は街でも有名な超高級クラブ・オモルフィを予約してあるということだった。

秀彦も名前だけは知っているクラブだったが、今までの秀彦なら一生縁がなさそうな超高級店だった。

やっぱりツキが回ってきている。

自分はどこまで上昇していけるのだろう。

秀彦は恐いような気もしたが、男なら野心を叶え、天下を取るまで上昇したい。

そんな夢がかなうのだろうか。

秀彦は新聞を読みながらそんなことを考えていたが、お茶を飲み過ぎたのかトイレに行きたくなった。

フィロス電機の総務部にいた頃は、トイレに行く時も周りの社員に許可をもらう必要があったが、今日からは好きなように中座することができる。

社長、社長とペコペコしてもらえる。

秀彦は緊張が解れて優越感のようなものも感じていた。

トイレはわかりやすい場所にあったが、秀彦が用を足して戻ろうとするとエレベーターホールの隅の方で大声でスマホで話している声が聞こえてきた。

 

「おい!ちゃんと回収しろよ!!」

 

今朝、初めて出社した時ににこやかに迎えてくれた社員が、スマホを片手にエレベーターホールの隅で厳しい口調でまくしたてていた。

 

「だーかーらー!取り立てはてめえの仕事だろ!!返済期限は今日までなんだよ!!絶対に回収しろ!!できなきゃなあ、てめえ、海に沈めるぞ!!」

 

秀彦は見つからないように陰に隠れて様子を見ていた。

何か借金の取り立てなのだろうか。

スマホで話している男は、かなり強い口調で命令しているようだった。

自分が社長として迎えられたのはコンサルティングの会社ではないか。

いや、それは表向きの話だけで、もしかしたら裏では言えないような稼業に手を出しているのではないか。

しかし、例えそうだとしても、今さら逃げることはできない。

汚いことも見ないふりをしなければならないのか。

政治に関わるということはそういうことではないか。

秀彦はそっとその場を離れた。