技術者 桜木賢一郎 最終話~減らない未来

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写真はイメージです。

 

桜木は空子と共に「喫茶プリヤ」を開店した。

 

「マスター、最初に来てくれるのはどんなお客さんかしら?」

「そうだなあ、うちのコーヒーを気に入ってくれたらいいんだが。それにしても空子、メイド服、よく似合ってるじゃないか」

「うふふ。私も気に入りました」

 

プリヤを開店してから空子は桜木のことを”マスター”と呼んでくれるようになっていた。

小さくて古ぼけた喫茶店だが桜木は夢をかなえた喜びを噛みしめ、まだ慣れない手つきでコーヒーカップを磨きながら空子と共に最初の客を待っていた。

開店して一時間程が経った。

プリヤのドアを開けて最初の客が訪れた。

 

「いらっしゃいませー!」

 

空子は元気よくプリヤ初の客を迎えた。

 

「ご注文は?」

 

入ってきたのは老婆だった。

桜木は築60年の店舗をそのまま使い、レトロな雰囲気を活かしてプリヤをオープンさせていた。

老婆にはお誂え向きといったところだろうか。

 

「コーヒーをください」

「かしこまりました」

 

空子はメモ用紙に注文を書き、桜木に渡した。

桜木は豆から挽いて丁寧にコーヒーを淹れた。

空子は桜木から熱々のカップを受け取ると、老婆の目の前にカップを置いた。

 

「お待たせしました」

 

空子がカップを置くと、老婆はそっと口をつけてコーヒーをすすった。

 

「ああ、美味しいねええ」

 

老婆はため息のようにゆっくり長く息を吐き、コーヒーをしみじみ味わっていた。

築60年の良さを活かすためプリヤの店内にはテレビなどは置いていなかったが、80歳は過ぎているかと思われる老婆はプリヤの雰囲気にぴったり合っていた。

30分ほどが過ぎ、老婆はコーヒーを飲み干すと席を立った。

 

「ありがとうございました。250円です」

 

空子がレジの前に立つと、老婆は古い財布から小銭を出して会計を済ませた。

 

「お嬢さん、コーヒー美味しかったよ」

「ありがとうございます」

「これね、お礼に」

「え?」

 

老婆は料金を払い終わるとやはり古いバッグから小さな袋を出して空子に渡した。

 

「これは?」

「美味しいコーヒーのお礼だよ」

「でも、料金はいただきました」

「うん、だからね。もっとお礼がしたくてさ」

 

小さな袋からは香ばしいコーヒー豆の香りが漂っていた。

袋の中身はコーヒー豆らしい。

空子は受け取ってざっくりした手触りでわかった。

茶店でコーヒーを飲んだお礼にコーヒー豆とはどういうことか?

 

「その豆でコーヒーを淹れて飲んでごらん。夢がかなうから」

「ええ、はい…」

「じゃあね。美味しいコーヒーをありがとう」

 

老婆はそう言うとプリヤを出ていった。

 

「マスター、これ、どうしたらいいかしら?」

「うーん。別に普通のコーヒー豆だな」

 

小さな袋を開け桜木が中を覗き込んで見ると、少しだけコーヒー豆が入っていた。

 

「淹れてみるか」

 

桜木は老婆からもらったコーヒーを味見してみることにした。

香りも色も特に変わったことはない。

桜木は自分で淹れたコーヒーに口をつけてみた。

 

「おお、旨い!これは旨いぞ!空子も飲んでみろ」

 

桜木は別のカップにもコーヒーを注ぎ空子に渡した。

 

「まあ、本当だわ。すごく美味しい!」

「だろ?袋には何も書いてないから豆の種類はわからないが、こんな旨いコーヒーは飲んだことがないよ」

 

桜木は残った豆を空いた袋に入れ替え、他の豆の隣に置いた。

 

結局、その日の客は老婆一人だけだった。

19時の閉店時刻になると桜木と空子は片付けを済ませて帰宅することにした。

 

その次の日、桜木と空子は朝早くにプリヤにやってきて開店準備を進めた。

 

「マスター、昨日、おばあさんからもらったコーヒーだけど、お客さんに出しましょうよ。私たちだけで飲むのももったいないわ」

「そうだな。あんな旨い豆、俺も飲んだことがない。お客さんにも味わってもらおう」

 

桜木と空子は開店準備を終え、空子が店のドアにぶら下げた札を”営業中”の方にひっくり返すとすぐに客が入ってきた。

 

「いらっしゃいませー!」

 

入ってきたのは学生風の若い四人組だった。

朝一番だからか、四人ともモーニングセットを注文した。

桜木がそのモーニングセットのメニューを用意している間にも次々と客が入ってきた。

昨日、開店したばかりのプリヤは特に広告を出すこともなく、テレビやネットで取り上げられたわけでもない。

それなのに、どうしたことか、開店二日めは客が途切れることなく入ってきた。

昨日は物静かな老婆が一人、客として来ただけだったのがどうしたことか?

 

結局、開店二日めは時間帯によっては満席になるほどプリヤは賑わった。

そして、それはその次の日も、そのまた次の日も続いた。

その日も一日中プリヤは商売繁盛だった。

最後の客が帰り、桜木と空子は店の中を掃除したりコーヒーカップを洗ったり、後片付けを始めた。

 

「マスター、これ、見て」

「ん?何だ?」

「よく見て。コーヒー豆、増えてない?」

「え?」

 

桜木は空子に言われて老婆からもらったコーヒー豆が入った袋を覗きこんだ。

 

「本当だな。増えてるな」

「でしょ?」

 

その日、プリヤスペシャブレンドと名付けたコーヒーの注文はなかったが、老婆からもらった時は袋の半分も入っていなかったコーヒー豆が袋の口ぎりぎりのところまで増えていた。

 

「どういうことかしら?」

「うーん、わからんなあ」

「私、考えてみたんだけど、あのおばあさんからコーヒー豆をもらってから不思議だと思わない?」

 

築60年の建物を活かしただけの開店したばかりのプリヤが、もう何年も常連客を掴んだように毎日賑わっている。

 

「こんなに毎日、お客さんがひっきりなしに来てくれるなんて不思議よね」

「そうだなあ。俺は金儲けというより道楽でやってるだけなんだがなあ」

「もしかしたら、このコーヒー豆って不思議な力があるんじゃないかしら」

 

空子は桜木が『プリヤスペシャブレンド』と名付けたコーヒー豆を手の平の上に置いてじっと見た。

 

「これってやっぱり、調べてみた方がいいんじゃないかしら?」

「ああ、そうだな。帰ったらパソコンで調べてみるか」

 

桜木と空子は店の掃除と後片付けを終えると家路についた。

 

「空子、何かわかったか?」

 

帰宅して入浴を済ませた桜木は缶ビールを開けながら空子が向かっているパソコンの画面を覗き込んだ。

 

「それっぽいのはヒットしたわよ」

「おお!そうか!」

「でも本当に不思議なことって、大衆の目に触れるところにはないんじゃないかしら?」

「それもそうだな。しかし、豆が増えているのは事実だしなあ」

「でもね、都市伝説で街を彷徨う老婆の話っていうのはヒットしたわ」

「ほお」

「謎の老婆は幸せをもたらす妖怪で、関われば一生安泰なんですって。でも、それはその人間次第で邪な気持ちで老婆と関わればしっぺ返しが返ってくる。そう書いてあったわね」

「妖怪かあ」

「でも、そうなると、ほとんどの人間はしっぺ返しを食らうわね。邪じゃない人間なんているのかしら?」

「じゃあ、あのばあさんは妖怪なのか?」

「そうかもね。一応、画像も検索したけど」

 

空子は検索でヒットした画像を開いた。

 

「あ!これは!」

「お店に来たおばあさんじゃない?」

「そうだ。間違いないな」

「都市伝説だって言われてるから、おばあさんが本当に妖怪なのかは確かめようがないけど、画像が一致したわね」

「なるほど。コーヒー豆が勝手に増えているということは、やはり人間の知恵を超えた何かなんだろうな」

 

その次の日、プリヤに一人の青年が客として現れた。

青年はブレンドコーヒーを頼むと鞄からスマホを出して画面に見入っていた。

疲れていて気づかないのか、青年は首から何かぶら下げたままだった。

空子がよく見てみると、それはフィロス電機の社員証だった。

フィロス電機は桜木が嘗て勤務し、空子を開発した古巣。

その社員が来店するとは奇遇なことだ。

これも何かの縁だろうか。

青年は社員としてのIDカードでもある社員証をぶら下げたまま歩いてきたのだろうか。

プリヤからフィロス電機までは歩いて行ける距離だった。

 

「あのう、失礼ですけど」

「ん?」

 

空子が声をかけると青年は不思議そうに返事を返した。

 

「あのう、社員証が丸見えです」

「え?!あ!!ホントだ!!」

 

青年は慌てて首から下げた社員証を外して鞄に押し込んだ。

 

「全然気づかなかったよ。ありがとう」

「お疲れのようですね」

「まあなあ。俺さ、フィロス電機の社員証をぶら下げてるけど派遣なんだ。安い給料でこき使われてさ」

 

青年は身の上話を始めた。

名前は佐藤秀彦。

滑り止めで入ったFラン大卒で不況の煽りを受け就職もままならず、人材派遣会社に登録して辛うじてフィロス電機に潜り込むことができたが、正社員からはいじめのような扱いを受け、面倒な業務を押しつけられている。

秀彦はぽつぽつとそんな話を続けた。

 

「でも、ここに来て良かったよ。なんだか落ち着く雰囲気だし」

「それは良かったです。ゆっくりしていって下さいね」

 

それからというもの、秀彦は毎日のようにプリヤに現れるようになった。

そんなある日、やはり仕事の愚痴をこぼす秀彦に、桜木は例の老婆からもらったコーヒー豆から淹れるプリヤスペシャブレンドを出してみた。

 

「旨い!!めっちゃ旨いよ!!こんな旨いコーヒーは飲んだことがない!!」

 

頼んでもいないコーヒーだったが、秀彦は口に少しだけ含むと絶賛した。

喜んでもらえたらそれで良い。

桜木は満足だった。

 

それからも秀彦はずっとプリヤに通ってきてくれたが、少しずつ変わっていった。

なにやら仕事が上手くいくようになり、有力な政治家とのパイプもできたらしい。

 

「なあ、空子。俺さ、憲民党の花村議員の後継者にならないかって言われたんだ」

「花村議員って、あの次期総理に最も近いと言われている人ですか?」

「そうそう、もうすぐ仕事も辞めて、次の選挙に出るんだ」

「わあ、すごいですね」

「空子、俺の秘書にならないか?」

「ええ…どうしましょう?」

「冗談だよ。ヒャーハッハッハッ!」

 

秀彦は自信に満ち溢れていた。

 

その後も秀彦が自慢していた通りだった。

秀彦は憲民党から出馬し、なんと選挙区ではトップで当選。

若手のホープと持ち上げられるまでになった。

桜木が名付けたプリヤスペシャブレンドの力なのか。

謎の老婆が与えてくれたコーヒー豆の力なのか。

 

しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった秀彦の最期はあっけなかった。

議会に初登院の日、秀彦は死んだ。

初登院を祝うと見せかけて渡された花束に爆弾が仕込まれていて、受け取った秀彦は木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「マスター、佐藤さん、あんなに意気揚々だったのに、とんでもないことになっちゃったわね」

「やっぱり、あのコーヒー豆の力なのかもなあ」

「あの豆で淹れるのは、もうやめる?」

「うーん、空子が調べた範囲では豆をくれた婆さんは妖怪なんだよな?」

「そうね、人間を試す妖怪ね」

「幸せになれるかなれないかは、飲んだ人間次第ということか。佐藤くんは初めのうちは気弱だったけど謙虚だったじゃないか。それが、選挙に出る話が出てきた頃から変わっていったからなあ。そこが問題だったのかもな」

「じゃあ、あの豆でコーヒーを淹れるのはやめないのね」

「そうだな。飲んだ人間次第だが、幸せになれる方に賭けたいな」

 

桜木がそう言って袋を覗いてみると、豆はまた増えていた。

コーヒーを淹れる時に減ったぶん、豆は必ず増えていた。

こうして、いつまでも豆はなくならないのだろう。

飲む人間の運命を変える不思議なコーヒー豆。

そのコーヒー豆の不思議な力に肖ることはできるのだろうか。

偽りのIDで実体のない影のような存在になってしまった桜木は、自分の運命もその豆に託してみたくなった。